文=屋代忠重 妄想パンフイラスト=映女
カルトリナ・クラスニチは高速道路建設を巡る汚職まみれの戦後コソボを描きつつ、社会に抑圧されてきた女性を描くドラマとスリリングなサスペンスを両立させた素晴らしい映画に仕上げた。
映画冒頭、インフラ省の大臣が汚職で捕まるニュースが流れ、主人公のヴェラは手話通訳として画面の隅でこの事件を伝えている。
1996年〜1999年まで続いた紛争によりセルビアから独立を果たしたコソボの戦後は、汚職の蔓延による経済の疲弊が深刻な社会問題となっていた。2019年の失業率は25.7%(最近は失業率の話ばかりしてる気がする)で2020年の経済成長率は驚異の-6.9%だ。街中で花火の炸裂音が響いても、パニックが起きないほどには紛争の傷も癒えているが、経済はヨーロッパの中でも最悪クラスだ。国民のライフラインを司る役所でさえ汚職が横行している有様で、ヴェラも職にはついているが決して裕福ではない。舞台俳優の娘の生活と老後の備えは、売却に出している判事の夫”ファトミールの家”の金額にかかっている。しかしその人生設計はある日突然、打ち砕かれる。ファトミールの自死により、家の権利争いに巻き込まれてしまったのだ。それも遺言状などの明確な書類があるわけではなく、言った言わないレベルの根拠で親戚のアフメトから権利の譲渡を迫られる。”ファトミールの家”だというアフメトに対して、”私の家”だと主張するヴェラ。夫の財産は妻のものではないという主張が、この社会ではまかり通ってしまっているのが恐ろしい。議論は平行線を辿りながらも、家がファトミールのギャンブルによる借金の抵当になっていると主張され、事態は次第にきな臭い方向へ向かっていく…。
劇中ヴェラは度々、海を漂う夢を見る。充実した毎日を送っている時は穏やかに、家の権利争いに巻き込まれて不安になればなるほど、海面は大きく揺れ、時として波に飲まれ、海中に沈み息もできなくなる。常に毅然と振舞っているかの様に見える彼女の内面を表現しているのだが、これは監督のカルトリナ・クラスニチが、彼女の実の母であるヴェラを間近で見てきた体験から着想を得ているのではないだろうか。劇中のヴェラは降りかかった不条理に敢然と立ち向かってるように描かれているが、娘のサラとの会話から彼女のこれまでは、いかに男性の機嫌を損ねない様に神経をすり減らしてきたかがうかがえる。殴られたくなければ黙っていろ。女に必要なのは男の機嫌を損ねない様な受け答えを覚える事だけだ。その姿を見てきた娘になじられ、その生き方を拒絶されたにも関わらず、そうまでして耐えながら安らかな老後を夢見てきたのに、死んだ夫の名誉を守るために更に沈黙しなければならないのか。生前あれだけ周囲から慕われてきた高潔な人格者のファトミールだが、ギャンブル癖というあまりに大きい負の側面で妻や娘が苦しむ羽目になったのだ。その結果、作中では明示されていないが「ファトミールがなぜ自死に走ったのか?」その動機が少しずつ透けて見えてくるのだ。そしてヴェラを脅す者たちも、結局は見栄と建前を取り繕おうとする者ばかりだ。「もう身勝手な男どもの名誉のために苦しむ必要はない」母娘が最後に出した答えは、カルトリナ・クラスニチが実の母に捧げた言葉なのだろう。その娘の決意をエンドロールで確かめてほしい。
妄想パンフ
B5ヨコサイズ。劇中の印象的な海原が表紙。平穏と不穏の間で揺れ動く波がヴェラの不安な状況を表している。
作品情報
監督:カルトリナ・クラスニチ
キャスト:テウタ・アイディニ・イェゲニ/アルケタ・スラ/アストリッド・カバシ
予告編はこちらから
87分/カラー/アルバニア語/日本語・英語字幕/2021年/コソボ・北マケドニア・アルバニア