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【TIFF6日目レポート3】悲しみは雪の様に降り積もる『箱』

文=屋代忠重

2015年に「彼方から」でヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞したロレンソ・ビガス監督の最新作は、父の遺骨を引き取った少年ハツィンと、帰りのバスで父にそっくりな男マリオとの奇妙な交流をメキシコ社会の現状を背景に描く。

共同墓地で見つかった父親の遺骨を、現場に落ちてた父のIDカードと一緒に引き取ったハツィン。声をあげて悲しむ他の家族の姿を目の当たりにしてあの家族の様に泣こうと、遺骨の入った箱を前に瞬きをせずに目を赤くしてみるが、泣くことができない。詳しくは描写されてないが、母と死別して以来、祖母と二人で暮らしていたハツィンには、悲しめるほど父との思い出が殆どないのだろう。誰かから与えられた悲しみでは泣く事ができないのだ。
宿からスマホで祖母への連絡を終え、眠りに就く際に遺骨を風呂場へと遠ざけるところからも、遺骨と一緒にいるのを嫌がってさえいるのがわかる。

帰りの道すがらバスの窓の外から父にそっくりなマリオを見つけ、彼こそ父親だと思い、マリオについて行くハツィン。そっくりとは言っても、IDカードの劣化した写真と見比べて似ている程度なので、ハツィンの父親に対する認識の解像度はかなり低いと言える。とはいえ、遂には遺骨を受け取ったセンターに返してしまうほどなので、本気であることは間違いない。はじめは拒絶していたマリオだが、ハツィンのしつこさに負け、彼に仕事の手伝いをさせる。メキシコの縫製業は安い中国製品に市場を奪われており、マリオはそんな仕事を追われた人向けに縫製工場の仕事を斡旋し、紹介料を得て暮らしている。中等教育を受けているハツィンは数字に明るく、徐々に重要な仕事を任されていく。
いつもの様に労働者をピックアップしていくハツィンは、ラウラという少女と出会う。彼女もまた縫製工場の労働者となるのだが、現場での不当なピンハネなどに抗議しトラブルを起こす。この出来事をきっかけに、マリオが不法な事業で生計を立てている事に気づく。
その後、マリオから嘘をつけない性格をたしなめられたハツィンは、逆に見事な嘘をついてマリオを出しぬき、これまでの無表情が嘘の様な笑顔を見せる。きっと父親に対して息子が抱く克己心に対する達成感なのだろう。そこから徐々に本当の親子の様に交わり始める二人。略奪などの違法行為に次々と手を染め、その度に強い絆で結ばれる。しかし、ある死体の処理をきっかけに、ハツィンの心境に変化が訪れる。

ダイナーのテレビに映し出される共同墓地で見つかった多数の遺骨のニュースを目にしたハツィンは、自分の父親が本当に死んだことを改めて認識し、父も自分たちが処理したあの死体の様に埋められたのだと画面に釘付けになる。誰の死体かはマリオから教えられなかったが、おおよその見当がついてくると、自身の良心に刺さった小さな罪悪感の棘が徐々にハツィンを蝕み始める。荒野で目撃した狼の死骸に群がる蟻の群れ。「きっとあの死体も…。」そう想像すると、あの時の蟻の群れの蠢く音が頭の中で鳴り続ける。その良心の呵責から、その死体の母親と思しき人物にあるメッセージを伝えてしまった事により、事態は悪い方へと転がっていき、ハツィンは遂に一線を越えた行為に及ばざるを得なくなる。あの時、父がそうされたであろう事を。「ああ、きっと父はこうやって死んだのか…。」犯行に及ぶ前に祖母に電話をかけるハツィン。表情に乏しかったかもしれなが、まだギリギリ人間らしさの際に踏みとどまっているうちに自分の愛を伝えておきたい。しかし、かつてスマホで電話をしていたハツィンは、いつしか祖母にまで公衆電話を使う様になっていた。全ての犯行を終えたあと、マリオの娘の誕生を祝うパーティの席で、まだ首が座ってない娘を抱かせてもらったハツィンは、自分の家族が殺され、誰かの家族を殺した自分が、新しい家族に触れるという状況に耐えられなくなり、遂にマリオの元から逃げ出す決心をする。犯行の日がそうであった様に、逃げ出した時も雪が降る夜だった。まるでハツィンが知った悲しみを象徴するかの様に。

そして再び遺骨を引き取る事にしたハツィン。その箱からはあの時とは違う重みを感じているのかもしれない。

こういった映画を説明する際に使ってしまう”メキシコの現状”という言葉。この言葉を聞いただけで、我々がこれから目にする事の想像がついてしまう。それほどにメキシコの社会が孕んでいる問題とイメージが映画を通じて定着してしまっている。違う言い方をすれば、それだけメキシコ社会の抱える問題が切実だという事だ。劇中では失業者が溢れかえってる様に見えるが、実は失業率は2021年3月で4.43%とそこまで高くない。スペインの16.2%(2020年12月)に比べれば全然低い。しかし、それは映画でも描かれているが、えげつないほどの低賃金で働く労働者、非正規雇用が多数いるだけで、貧困層で溢れかえっている事には変わらない。そんな麻薬カルテルとは違うメキシコ社会の病巣をビガス監督は提起している。1992年のNAFTA締結以来、メキシコの国内産業は壊滅的な危機を迎え、サパティスタの登場や麻薬カルテルの跋扈など血まみれの歴史を辿っている。その結果生まれた悲劇が、ハツィンの父の遺骨という形で今回の「箱」の中身になったのではないだろうか。2019年のメキシコの殺人件数は3万件を超え、毎日誰かが当たり前の様にいなくなる社会において、ハツィンの父も日常の景色の1つかの様に居なくなって、死んでいったのかもしれない。一度はその現実を突き返したハツィンだが、もう1つのマリオとの現実に挟まれて潰され、最後は父親の死という現実を受け取る事で元の世界へと戻っていく。そんな悲劇が続く度に、ハツィンたちの様な家族が受け取る箱の中身は重くなっていく。

想パンフ

A4ヨコでハツィンが受け取った遺骨の入った箱の形の特殊形。中は現場で見つかった父親のIDカードや、スコップなど劇中に登場するアイテムの写真が各ページに散りばめられている。

作品情報

監督:ロレンソ・ビガス
キャスト:エルナン・メンドーサ/ハトシン・ナバレッテ/クリスティーナ・ズルエタ
予告編はこちらから
93分/カラー/スペイン語/日本語・英語字幕/2021年アメリカ メキシコ

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