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【38th TIFFレポート12】『雌鶏』一茶の一句は雌鶏がサルトルを踊るがごとく

文=屋代忠重

東京国際映画祭ではアンドレア・アーノルドの『牛』やネルソン・カルロ・デ・ロス・サントス・アリアスの『ペペ』など、動物視点で描かれた作品が上映されることがある。個人的にこの“アニマル枠”には注目しており、今年のアニマル枠はタイトルもそのものずばり『雌鶏』。今年日本でも『おんどりの鳴く前に』が公開されたが、作中に登場する鶏が実は雌鶏なので、2025年2本目の雌鶏映画。動物に関してはAIやVFXを一切使わず、実際の動物で撮影したという異色作。主役の雌鶏は8羽の鶏と3羽のスタント(!)を用意して臨んでいる。『バルタザールどこへ行く』や『およげ!たいやきくん』を彷彿とさせる、雌鶏の視点から人間社会を風刺的に描いたユニークなコメディだ。

映画は主役の雌鶏が卵から孵るところからスタートする。普通なら養鶏場で生まれた彼女には、食用にされるか、死ぬまで卵を産み続ける一生が待っている。しかし養鶏場から搬送中に、運よくトラックから脱走。無事チキンスープにされる前に、思わぬ形で自由を手に入れる。彼女が手に入れた自由。それは新たな不自由の始まりでもある。生殺与奪を誰かに握られ、一生卵を搾取される鳥生(人生)こそ免れたが、エサを自分で獲得する必要があり、外敵からも身を守らなければならない。実際、登場する様々な動物たちは、あまりにもあっさり死んでいく。厳しい環境の中で生きていかざるを得ないが、食住の保証はあれど誰かの庇護のもと搾取され続けるくらいなら、自らの力で広い世界を生き抜いてみせる。前半はこうした彼女が1羽で広い世界をサバイブする様子を中心に描かれるが、それを受けて後半ではより人間との関わりが強く描かれる。

かつてレストランだった建物に流れ着いた雌鶏。そこで人間に捕まり、中庭の鶏小屋に入れられる。そこで雄鶏と恋に落ちるが、卵を産むたびに食材として人間に奪われる日々が続く。これまでただ無軌道に自由世界を漂っていた雌鶏は、そこが檻の中であっても自分の生きる意味を子育てに見出していく。そして自ら産んだ卵を守るため、人間たちに抗ってみせるが、到底イチ雌鶏が敵う相手ではない。映画の冒頭で小林一茶の「露の世は露の世ながらさりながら」が引用されている。我が子を病で失った一茶のやりきれない気持ちを表現してると言われている。この句が卵を奪われる雌鶏にオーバーラップしていく。「なんのために生まれてなにをして 生きるのかこたえられないなんてそんなのは いやだ!」という「アンパンマンのマーチ」にでてくる歌詞のように、いまいる世界に意味を与え、自分の行動によって自身の生きる意味をもクリエイトしていく雌鶏は、鶏でありながら実存主義を実践しているとさえいえる。そしてこの雌鶏の戦いが後半の軸となるのだが、そこに別レイヤーで人間側のドラマが被さってくる。

鶏が捕まった元レストランの跡地は、いまでは違法ビジネスの取引場となっている。そこで描かれる人間たちは、みな等しく命の価値が軽い。雌鶏がかつていた養鶏場となんら変わらない世界のなかで自由を奪われた人々は、作中で死んでいく動物たちと同様に、その死に理由さえ与えられない。徹底的にコメディとして笑いに徹している雌鶏のシーンと、シリアスに描かれる人間たちのシーン。交錯しそうでしない、交錯しなさそうでするふたつのレイヤーの絶妙な距離感が、人間の深い業を際立たせてくる。こうした様々なテーマが複雑に絡み合いながら、寓話的コメディにまとめ上げたパールフィ・ジョルジ監督の手腕がお見事!
そして、こうした動物映画は、たいていその動物の死によって幕を閉じる傾向がある。はたして本作の雌鶏の運命はいかに⁉ぜひ劇場公開したあかつきには、その目で確認していただきたい。

作品情報

原題:HEN
監督/脚本:パールフィ・ジョルジ
キャスト:ヤニス・コキアスメノス/マリア・ディアコパナヨトゥ/アルギリス・パンダザラス/
雌鳥(エスティ、サンディ、フェリ、エンチ、エティ、エニクー、ノーラ、アネット)
96分/カラー/ギリシャ語/英語、日本語字幕/2025年/ギリシャ、ドイツ、ハンガリー

予告編はこちら

妄想パンフ

A5タテ。ポスターにもなってるメインビジュアルを表紙にして、雌鶏の表情を感じ取って欲しい。しかし作中に登場する鶏料理のレシピも掲載するというアンビバレントな内容。

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