今年2月、「映画パンフで卒論を執筆させていただきました。貴団体は大いに参考にさせていただきました。」とのコメントと一緒に『映画パンフレットという日本文化』というタイトルの論文が映画パンフは宇宙だ!(PATU)宛てに送られてきました。映画パンフを扱った論文はまだ少ないのが現状です。如何にして映画パンフをテーマにし、執筆するように至ったのか。大学4年生の「じゃがぶた」さんにZoomでのインタビューを行いました。シネコンでアルバイトをされていたようで、映画館でのエピソードについてもお聞きしました!
聞き手:小島、ながせ、パンフマン(映画パンフは宇宙だ!)
パンフマン(以下パ):卒論お疲れ様でした!映画パンフレットの成立から10年ごとに時代を区切り、その都度パンフが直面してきた出来事をまとめながら、変遷を辿っていくという大変な力作でした。映画パンフが果たしてきた機能と役割、その購買要因も分析し、さらに映画パンフの将来も見据えています。
ながせ:大変面白く読ませていただきました。私も映画についての卒論を書いたので、親近感が湧きました。私の書いた論文はミニシアター文化とそのブランディングをテーマにしていたもので、比べるのもおこがましいですが、じゃがぶたさんの論文の方がずっとしっかりしていました。
パ:実は私も映画の舞台の変容について卒論を書いたのですが、自分のよりも非常にレベルが高い内容でした。
じゃがぶた(以下じ):いやぁ、ありがとうございます…。正直ここまで評価していただけるとは思ってなかったのでとても恐縮です(笑)。
パ:映画そのものを主題にした論文は多いですが、映画パンフをメインにしたものはあまり見当たりません。
じ:そうなんです。先行研究があまり見つからなかったので、その点は苦労しました。
パ:論文の中で参考文献として登場する上海での映画メディアについて研究されている関西大学の菅原慶乃先生にも映画パンフで卒論を書いた学生がいらっしゃるとお伝えしたところ、喜んでおられました。「映画パンフレットが持つ役割にこれからも注目が集まることに期待したいです」と。
上映中はしゃべらない」「席を立たない」そんな映画鑑賞マナーは1920年代の上海で定着していたーさらに今で言う映画パンフに相当する「映画説明書」も誕生。そんな上海の近現代文化史を紐解いた菅原慶乃さんによる研究書『映画観客の上海史 映画館のなかの近代』。ブック・デザインは「説明書」と呼ばれた上海の映画館プログラムをモチーフに作られている。
じ:え!!すごい嬉しいです。さっきも話したのですが先行研究がホントに少なくて、菅原さんの論文がなかったら僕の卒論は絶対完成してないです。
Google Scholarに先行研究が見当たらないので、Twitterでパンフに関する情報はないか検索していた時に、昨年10月に開催された映画パンフのイベントを見つけ、参加させていただきました。そこで初めて「映画パンフは宇宙だ!」(PATU)さんの存在も知りました。
パ:小島さんがゲスト講師を務めた映画パンフの歴史を解説して、試しにパンフを作ってみるというワークショップですね。
じ:こちらのイベントは卒論を書く上でとても参考になりましたね。パンフの作り手側の視点を獲得できたというか…。
あと、PATUさんの出しているZINEも参考になりました。PATU MOOK vol.01「大島依提亜と映画パンフ」は大島さんオタクにとってたまらない素敵な本でしたし、PATU Fan×Zine vol.02「アスパラガスの所在 about 愛がなんだ」も、座談会記事とか特に「一緒に交ざりてー!」って思いながら読ませていただきました(笑)。こういうZINEってもはや公式のパンフより内容がコアだったりするんで、改めてパンフの役割とか存在意義とかを考え直すきっかけになった気がします。
論文のテーマ決め
小島:そもそも論文のテーマはどのようにして決められたのですか。
:所属するゼミの教授は出版論を専門としている先生でした。いま出版業界では紙媒体が非常に厳しい状況に置かれているのを話で聞いていましたし、実感もしていました。
しかし劇場で映画パンフを売る立場にいると、話題の作品は初日に売り切れてしまうのも珍しくなくて。しかも、どうやら映画パンフって海外には存在しない文化らしいぞという記事もあって。こうみると映画パンフって、出版物のなかでもかなり異質な存在なのかもしれない、という疑問点からスタートしました。
小島:なるほど。
じ:映画で卒論書けたら楽しそうだなとは思っていたのですが、特定の映画を扱った作品論を書くのは難しいだろうなと考えていました。映像論的な研究だと考察や分析がどうしても主観的になり、また時間もかかり、説得力のあるものにするのが難しいと二年次のゼミで実体験していたんです。一方映画パンフは文字と静止画の媒体なので、映像と比較すると客観的に分析できそうかなと思い選びました。たとえ思い入れがある作品であっても、それだけで3万字以上書くのは厳しい気がしていましたし、オリジナリティという観点においても、自分が書くべきなのは作品よりもパンフについてかなと思って、そういう風にテーマを選定していきました。
パ:執筆は大変でしたか。
じ:大変でした…が、正直楽しかった方が勝ってるかもしれないです。辛そうになりながら書いている人もいるなかで、自分はエンジョイ勢というか、良くも悪くも趣味の一貫みたいに書いてました。特に第3章「映画パンフレットの現在」は自分の持ちパンフの中から推しパンフを紹介するコーナーになってしまっているんですが、ブログを綴っているような気分で取り組めました。
映画パンフが持つ特徴を抽出
パ:この3章では割と最近、ここ数年のパンフが取り上げられていますね。例えば、『Summer of 85』は「冊子外での魅力創出」として、『1917』『カツベン!』は「史料としてのパンフレット」、『JUNK HEAD』は「制作過程の追体験」できるもの、「聖地巡礼」だと『猿楽町で会いましょう』『さよならくちびる』、「無料配布による来場促進」を狙った『ダンシング・マリー』、「余韻に浸れる」パンフとして『サマーフィルムにのって』など何冊かセレクトするだけでも、様々なジャンルにカテゴライズできるのは現代の映画パンフが持っている多様性を示している気がしました。
じ:この部分は単なるオタク語りにならないよう、できるだけ体系的に分類してみました。「こじつけじゃないですか?」「学術的でないのでは?」とか口頭試問で教授からツッコまれないかヒヤヒヤしてましたが、納得していただけました(笑)。
小島:いつ頃から準備を始めて、どのくらい時間がかかりましたか。
じ:3年の春ですかね。1万字のゼミ論を書く機会があって、そこで映画パンフについて書いたのが先生に好評だったので卒論に発展させようと決めました。実際に集中して取り掛かったのはここ半年弱くらいでした。
ながせ:ご自身でもパンフを購入されているわけですが、論文執筆を通してパンフに対する視点が変わってきた感覚はありますか。
じ:論文の中で、人は何故パンフを買うのかという分析も行いました。これまで買う理由の言語化をしたことはなく、特に何も考えずに買っていたところがあったので、自分ではこういうのを求めていたんだと概念化していくことができました。
ながせ:映画パンフをお客さんが購入にいたる傾向は掴めましたか。
じ:①情報 ②批評 ③ビジュアル ④記念 ⑤収集という5つの購買要因が軸にあると仮定し、検証を進めてきました。これに加えて、時代ごとに外部の要因が関わり合い、自在に形を変えながら映画産業を支えてきた文化だったのだとわかりました。
今のパンフは恵まれているか
パ:論文の中で、1970年代は映画パンフの低迷期と書かれています。当時は映画以外の娯楽産業が隆盛でした。その影響がパンフにも表れていたんですよね。当時の判型が統一されていた頃と比べると、今のパンフレットはサイズがバラバラで、これには保管がしづらいという意見もありますが、デザインは洗練されてきています。中身も映画関係の人選だけではなく、多様なジャンルのメンバーによるコンテンツに彩られ、昔よりもバラエティに富んでいます。このくらいの個性がパンフレットになかったとしても、私たちはこんなにイベントとかで盛り上がったのだろうかとも考えてしまいます。現在のパンフは過去と比べると恵まれていると思いますか。昔から今に至るまでパンフの歴史を調べてみてどのように感じますか。
じ:自分の好みとしては今のパンフが好きですし、多様化の方向には進んでいますが、昔は悪くて今が良いと一括りには言えないですね。数十年前のパンフを神保町に見に行った時、今でいうところのFOXサーチライト的な、ブランディングを担うシリーズパンフレットがほとんどで。漫画の単行本みたいに巻数とかも記されているので、これはこれで収集欲求が湧いちゃうなと思いました。当時お客さんだったら、まんまと集めちゃってた気がします。
なので、一概に進化してきていると言うのはやっぱり違いますかね。もちろん、それぞれ進化している個々の要素はあります。大島依提亜さんをはじめ、個性的な仕掛けがデザインされたパンフが増えていますが、何やってもいいよという遊び心が「本」という概念ごと解放していってくれている感じがして大好きです。この楽しい部分はどんどんこれからも進化していってほしいです。
小島:もともと最初は劇場鑑賞時のお土産的なものとして作られていました。サイズも画一的なものが多かったです。今と比べて、その部分の面白みは確かにありませんが、その反面、今だったらパンフが作られないだろう映画にも必ずと言っていいほど作られていましたよね。
パ:中には未だにソフト化されておらず、パンフだけが存在している映画もあります。
小島:多種多様なパンフが出ていますが、今は購入する人自体は減少していっているのかもしれません。
じ:そう言われると確かに、劇場でかかるほぼ全ての作品にパンフがあった時代から比べると危機感がありますね。実際、小さめの作品だとパンフが無いケースが少なくありません。元々パンフはマーケティングの一環なので当然といえば当然かもですが、売り上げが見込める作品に対してだけでなく、見落とされがちな重要な作品にも、パンフを通じて付加価値が与えられる構図ができてくれば良いなと思います。
パ:リュック・ベッソン監督、ジャン・レノとナタリー・ポートマンが出演している『レオン』のパンフが1990年代を代表する事例としてピックアップされています。『レオン』は1994年に松竹版が、96年にはヘラルド版として『レオン 完全版』が公開されました。それぞれで内容が全く異なる2種類のパンフが発売されています。旧作が単にリバイバル上映されて、新たにパンフが作られたのとは異なるこの事象について、比較分析が行われています。「前者はあくまで映画の宣材、紹介的なコンテンツが主なのに対して、後者は既に見終えた人へ向けたコンテンツが主であった」とする、この箇所も読み応えがありました。偶然『レオン』を調べてみたら、面白い発見があったということでしょうか。
じ:調べていくにつれて、同じ作品なのにパンフが全然違うパターンがいくつかあることがわかりました。こういう事例も卒論で使えると思い、国立映画アーカイブ(東京都中央区)で過去の名作の中から、自分が観たことある作品を探していたところ、配信で観た『レオン』のパンフを2冊見つけまして、これを卒論で取り込んでみました。
パ:編集者が違うので当然なのですが、ストーリー紹介から寄稿者の面々、デザイン、レイアウトも丸々別物になっていますよね。こうした新旧パンフの比較研究は面白いですね。
表紙も大きさも違う『レオン』パンフ2種
シナリオ掲載について
パ:映画パンフに掲載されているシナリオにも触れられています。かつてはパンフにおける定番のコンテンツでしたが、最近では掲載がない場合が多くなっています。ソフトがなかった頃やソフトがあっても手が届きにくく、配信もなかった時代に比べるとその役割が変わってきたのかもしれないと考察されています。
じ:シナリオは現在のパンフに復活して欲しいコンテンツ断トツ1位です…。趣味で、映画を観た後に自分の感想とか伝えたいことをインスタのストーリーやFilmarksに書いているのですが、脳の容量的に全てのシーンを覚えられません。直後だったら大丈夫ですが、日が経ってしまうと忘れてしまいます。そういう時に台詞を参照できますし、振り返りたい時に情景が思い浮かぶのでとてもありがたいです。
映画パンフだけではなく映画シナリオも宇宙だ!
パ:確かに何か大事な言葉を言っていたのに思い出せなかったりすることはあります。その時は役立ちますね。昨年のベストパンフアンケートでは『花束みたいな恋をした』を選んでいただきました。
じ:パンフだけではなく、作品でもベストです!恋愛ものや青春ものは観た後の余韻を手元に大切に残したくなります。『花束みたいな恋をした』のパンフは、二人の存在や思い出を象徴するチケットやスケッチブックなど、映画の中のものを現実世界で手に取れるという体験をくれるんです。映画の余韻をそのまま本棚にという感動をパンフが叶えてくれたと感激しながら読んでいました。アンケートの結果を見ても、そう思った人が自分以外にも多かったんだなと納得しました。
パ:劇中でアキ・カウリスマキ監督の『希望のかなた』を二人が映画館に観に行くシーンがありました。その後、家のカットに切り替わって、部屋のテーブルの上に『希望のかなた』のパンフが置いてあるのが一瞬映ります。彼らがパンフを買う派だったとわかる瞬間でした。
じ:気が付かなかったです!でも、あの二人はパンフを普段から買ってそうですよね。
(続く)