文=小島ともみ
コロナ禍で各都市がロックダウンした当初、SNSでは盛んに「人の消えた街」の画像や映像がセンセーショナルに伝えられた。普段なら人であふれかえっている観光地にモノだけが整然と並んでいる様子は確かに不気味でショッキングではあった。そのうち山や森から街に繰り出してきた動物たちが勝手に垣根を食み、道路を気ままに闊歩する様子に取って替わると、本来の姿、あるべき姿を取り戻したのだと自然礼賛の声が聞かれ、ここ数年で急速に問題視されるようになっていた「観光公害」もあらためて浮き彫りになった。
アレックス・デ・ラ・イグレシア監督の新作『ベネシアフレニア』は、観光産業が国を潤わせる一方で退廃させもする観光公害に悩むヴェネツィアを舞台に、ジャッロ映画のしつらえでみせる社会派スラッシャーだ。定石に則ったファイナルガール、殺人鬼、無能なボーイフレンド。派手に血は飛ばないが、切れ味の鋭い中世の剣が存分にふるわれてスラッシャーらしい見せ場も用意されている。
イサは結婚をひかえ、独身最後の時間を友達や弟と年に一度のカーニヴァルを迎えて華やぐヴェネツィアで過ごすことに決めた。しかし浮き立つ気持ちは長続きしない。空港を降り観光クルーズ船に乗り込もうとする5人を、「クルーズ船反対」のプラカードを掲げスモークを炊き怒声を浴びせる地元住民の集団が待ち受けていたのだ。
手荒い歓迎を受けた一行の顔に浮かぶ不満げな表情からは、高額を支払った分楽しんでなにが悪い、旅先で少々羽目を外すのは当然だという考えが読みとれる。金を落としてやっているのに酷いことをされたと自分たちを被害者と思っているふしすらある。しかしその不快感も不安も船を降りた瞬間には忘れてしまい、享楽に身を委ねていく。そんなイサたちを見つめる地元住民の視線に彼女らは気づかない。ここには第三者の欲望vs割を食う当事者の問題がひそんでいる。
コロナ禍で行われた「GoToトラベル」にあたって観光地で客商売をする友人が苦悩を吐露していたのを思い出す。客が来ないと商売はあがったりだが、積極的に受け入れて万が一クラスターを発生させようものなら周囲からつまはじきにされかねないというのだ。劇中でも消えた友人を探すイサの手助けをする水上タクシーの運転手が裏切り者呼ばわりされる場面がある。運転手は「そんなの知るか」と仲間に背を向ける。当事者のなかにもグラデーションはあり、利害がある。当事者性は事かように難しい。
オーバーツーリズムをめぐる対立構造が早い段階で明らかになり、事件の概要はわりと容易に察せられる。犯人の正体うんぬんより、オトシマエをどうつけるのかに関心を引っ張っていき、突きつける外連味たっぷりのフィナーレ。「ここまでやったところでどうせおまえらには分からないだろうが」という哀愁と皮肉をきかせた拒絶を感じた。
妄想パンフ
スタイリッシュなジャッロ風のオープニングに倣って、表紙もジャッロ風、真ん中に道化師の顔を据え、血の滴る剣をX字にクロスさせる。中身も黒字にジャッロ特有の色合いである赤、黄色、緑、青をメインに使用。ヴェネツィアの直面するオーバーツーリズム問題の解説を。
作品情報
『ベネシアフレニア』
予告編はこちらから
監督:アレックス・デ・ラ・イグレシア
キャスト:カテリーナ・ムリーノ、コジモ・ファスコ、イングリッド・ガルシア・ヨンソン他
100分/カラー/英語・イタリア語/2021年/スペイン