文=屋代忠重
シングルマザーのアリーナは息子のセリックをエリート士官学校「カラタス校」に入学させるが、その風貌からいじめに遭い、校長から異質な存在とされ退学処分を受ける。セリックの父親であるボラット・アサノビッチが軍の高官だったことから、そのコネを使って母親はセリックを復学させることに成功する。そのとき過去に息子が学校で自殺したという母親に出会い、息子も同じ運命をたどるだろうと警告を受けるが、息子は自ら命を絶つ前に自身の母親を殺害していたのだった。そしてそれはこれから起きる恐ろしい出来事の始まりに過ぎなかった。カザフスタンからやってきたアディルハン・イェルジャノフ監督が描く本作は旧ソ連軍ホラーという新しいジャンルだった。
作品は4章立てとなっており、それぞれがデカルトの「方法序説」にある四原則からの引用である。セリックが再入学してからしばらくたったある日、学校で起きた凄惨な事件に派遣された捜査官がこの四原則に則った論理的な部分をになっており、本作で起きる怪異と対立していく構図を作り出している。その怪異を際立たせるために、アリーナとセリックの距離感が上手く機能している。どちらかがアップで映っているとき、どちらかが黒い人影となって映り込んでいる。親子にも関わらず、ほとんどのシーンにおいて距離が離れており、その理由が終盤に更なる悲劇へと繋がっていく演出が素晴らしい。そして絶妙な音響設計も冴え渡る。最初は観客同士の話し声が聞こえてるのかと思ったが、全くそうではない。劇場のあちこちのスピーカーから、誰かの囁き声がヒソヒソと聞こえてくるのだ。認識しているのに見えないものへの恐怖は旧ソ連の密告社会の示唆にも思える。親子を取り巻く人物もかなり練られている。特に校長は士官学校自体が旧ソ連の面影をそのまま残しており、彼の態度はまだソ連が存在しているとさえ思えてくる。周囲に何もない平原にポツンと建っている、ザ・ソ連を体現したような無機質で色味のない校舎、旧態然としたマチズモ溢れる学校生活のなかから唐突に現れるスマートフォン、郷愁と現代性の入り混じるギャップがこの作品の独特で異様な世界観を魅力的なものにしている。そして繰り返し訪れる人々の反復行為という恐怖。反復することによって人はその考えや行為を疑わなくなる恐怖は、校長の「我、殺す。故に我あり」というデカルトの考えとは正反対の思考放棄という恐怖でもある。それはまさにソ連をはじめとする共産圏で行われていた教育であり、デカルトの四原則と相剋する。
これらを背景に霊的儀式、カルト集団、メソポタミア神話の神、呪われた14年周期と東欧諸国の動乱、様々な要素を詰め込み、その正体を具体的に明かさず、なす術なくただ怪異に飲み込まれていく様は黒沢清的な手法にかなり近いと感じた。冷戦が終結して30年超、劇場の暗闇で蠢く旧ソ連の亡霊たちは、今も美しきソビエト連邦の夢を見ている。
作品情報
原題:Cadet[Кадет]
監督:アディルハン・イェルジャノフ
キャスト:アンナ・スタルチェンコ、シャリプ・セリック、ラトミール・ユスプジャノフ、
アレクセイ・シェメス、バキトジャン・カプトガイ
123分/カラー/カザフ語、ロシア語 日本語、英語字幕/2024年/カザフスタン
妄想パンフ
B5タテ カラタス校の入学案内。デザインはロシア構成主義に溢れ、インタビューなどのテキストも、ソ連のプロパガンダ風にしたい。