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【37th TIFFレポート10】支配と救済の位相『純潔の城』

文=小島ともみ

18年間、重い扉の向こうに封じ込められた家族がいた。一家を縛りつけたのは、「純潔」という美名のもとに、絶対的な権力を振るう父親だった――半世紀以上の時を経てなお、色褪せることのない芸術性で観客の心を強く揺さぶるメキシコの巨匠、アルトゥーロ・リプスタイン監督。今年の第37回東京国際映画祭で5作品の特集上映が組まれたのは、待ち望んでいたファンにとってはとても喜ばしいことだろう。本作『純潔の城』は、実際の刑事事件を題材にし、閉ざされた空間で支配と抑圧の恐怖を描き出す異色の家族ドラマである。公開当時、メキシコ版アカデミー賞のアリエル賞で監督、脚本賞を含む10部門にノミネートされ、5部門で受賞に輝いた傑作の誉れ高い作品だ。

主人公の父ガブリエルが掲げる「純潔」の理念は、外界を「腐敗」と「堕落」の温床として嫌悪する独自の価値観に基づいている。家族を文字どおり敷地から一歩たりとも出さない彼の存在は、家庭という「城」に君臨する暴君そのものだ。その「城」は固く厚い門で外界から完全に遮断されているが、老朽化が進む建物は堅牢な要塞などではなく、いつ崩れ去ってもおかしくない不安定さが、彼の支配の脆弱性を暗示する。各部屋に設けられたのぞき穴、従わない家族に罰を与えるための地下牢と、くまなく監視の目を張り巡らせる彼の姿は滑稽でありながら不気味で、彼の「王国」の歪みを感じさせる。一家はネズミ毒の製造販売を家業にし、生計を立てている。ここでも彼は「純潔」に拘り、材料の計測から調合、袋詰めまで全てを手作業で行う。危険を伴う作業であるにもかかわらず、幼い子供にも朝から晩まで従事させる状況は異様でしかなく、家業そのものが家族関係を蝕む毒性の象徴のようだ。同情の余地のかけらもない父親だが、演じたクラウディオ・ブルックは支配者の威厳と内なる不安を繊細に表現し、冷酷さのなかに孤独を滲ませる複雑な人物像を創りあげ、単なる支配vs被支配の構造に陥らない深みを与えている。

本作が公開された1970年代のメキシコは、急激な近代化に抗うように権威主義的構造が社会に根強く残り、政治的には一党独裁体制下での抑圧が続いていた時代である。そうした世の病理をミクロコスモスの視点で伝統的家父長制と個人の自由の相克に落とし込んだのが『純潔の城』だと言えるだろう。逃げ場のない息苦しさをリアルに伝えるカメラワーク、狭い視野で家族を捉える映像は、覗き見の不穏な緊張感を生み出す。さらに背景音を最小限に抑え、わずかな物音を効果的に響かせて、観る者を家族と同じ終始不安定な心理状態へ追い込んでゆく。この静謐でスリリングな映像は、メキシコ映画界の伝説的な撮影監督、アレックス・フィリップスが手がけ、彼にとっての遺作となった。

ガブリエルの「純潔」への執着は、歪んだ支配欲の産物だ。独善的な態度を、家族を守るという建前で正当化する一方で、彼は外界での「刺激」(若い女との浮気や、家族には禁じる肉食)を楽しむ。この二重生活は、重ねるほどに彼の心身にのしかかり、内なる不安を増大させて暴走に拍車をかけていく。今の言葉で言うならば、父親による家庭内DVと虐待の状態である。母親の立ち位置はといえば、父親に従順であることが家族の幸せという長年の自己暗示が今や信念となり、子供たちに対してもこの価値観を植えつけようとする。この母親の振る舞いから、支配がどれほど被支配者の精神構造を蝕み、恐怖と無力感を骨の髄までたたき込むかが痛いほど分かる。

ガブリエルの絶対的支配の象徴として、劇中で何度も家族の、そして観客の前に立ちはだかる分厚い門は、外界との唯一の接点でありながら、越えることを許さない。門は映し出されるたび、自家中毒で煮詰まった欲望と解放への渇望が錯綜する家族の苦悩を、より鮮明に印象づける。この八方塞がりの状況を打破するのは、しかし皮肉にも父親が全幅の信頼を置いていたこの分厚い門である。娘が危険を賭して窮状をしたためた手紙を門の外へ投げ込み、家族がようやく救いの手を得るシーンは、この物語の中で唯一、外部からの介入が成される場面だ。救済に至るまでの葛藤を経て、閉じ込められた生活からの脱却がもたらす解放感で長年の抑圧が溶けるとき、支配は永遠に続くものではなく、外部から光が差し込めば崩壊が始まるという希望と安寧がスクリーンを満たす。

いわゆる心理スリラーに留まらず、抑圧と支配のメカニズムを通じて、人間がいかに権力に支配され、時にその枠内で自らを見失うかをミニマルに見せる『純潔の城』。それは半世紀前のメキシコに限らず、世界中の広義の「密室」で繰り返されている悲劇の原型かもしれない。リプスタイン監督が投げかけた問いは、いつの時代の観客にとっても胸に手を当てる機会を供する普遍的なテーマだ。まさしく傑作と称されるに相応しい作品である。

作品情報

監督:アルトゥーロ・リプステイン
キャスト:クラウディオ・ブルック、リタ・マセド、アルトゥーロ・ベリスタイン、ディアナ・ブラチョ、グラディス・ベルメホ、マリオ・カスティジョン・ブラチョ
108分/カラー/スペイン語/日本語、英語字幕/1973年/メキシコ

妄想パンフ

A4タテ。今回の映画祭で上映された全作品をレトロスペクティブ的に徹底紹介する。本作のみのパンフレットならば、支配と解放の象徴である「門」を装丁にあしらい、建物と部屋の見取り図は必須。本文の背景に薄く建物を浮かび上がらせる。ネズミをあちこちに散らしたい。監督に加えて、撮影監督アレックス・フィリップスのフィルモグラフィーもぜひ。当時の関係者が健在であればインタビューを。

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