文=小島ともみ
ぎらつく乾いた日差しのなかを、一人の男が歩いている。1902年のコロンビア。政府軍と革命軍の内戦から千日が過ぎ去ったというのに、この地ではいまだ銃声が絶えない。革命軍の元兵士アルフレド・ドゥアルテ・アマドの耳に、兄嫁の妊娠の知らせが届く。政府軍に身を投じた兄ロドリゴを探して、チカモチャ渓谷の山をかき分けていく彼の前に、一台のカメラを抱えた男が現れる。父親を殺した男を追う写真家ベニートである。引き合わせたのは運命か、それとも偶然か。二人の奇妙な友情が始まる。
内戦という名の業病に蝕まれたコロンビアの大地を舞台に、本作が語るのは、家族さえも敵味方に別れて争い、大地を血に染めたこの国の、傷だらけの記憶だ。引き裂かれた社会の断層を一人の男の旅路を糸に丁寧に縫い合わせていく手つきは、無骨だが優しい。マカロニ・ウエスタン譲りの荒々しい暴力を匂わせながら、本作は違う道を選ぶ。復讐の甘い痛みに酔うことをきっぱりと拒絶し、南米文学ならではのマジックリアリズムの要素を効果的に取り入れながら、赦しと和解の可能性を模索する。戦争の血生臭さを決してごまかしはしないが、時にユーモラスな展開を織り交ぜることで、重いテーマ性のガス抜きをする手腕は見事だ。
そして訪れるのが、マカロニファンの心を躍らせる、かのセルジオ・レオーネ監督の『続・夕陽のガンマン』(1967)への素晴らしいオマージュ。伝説的な三すくみの睨み合いを、「魔法の粉」という小道具で別世界に放り込む遊び心で、運命のやり直しを許された3人の選択を劇的に演出する。彼らは果たして何を選ぶのか。カメラは執拗にその表情を追い、復讐の不毛さを寓話のように描き出す。
チカモチャ渓谷の町セピタに2ヶ月も張りついて撮られた映像には、土地の息遣いが染みついている。監督の前作『Pariente』から引き続き起用されたサンタンデール地方の役者たち、東部平原のヤマレロス共同体の面々。彼らが醸し出す生々しい存在感が、物語の説得力を支える。撮影監督アンドレス・エルナンデスが執念で捉えた荒々しい自然は、かつてのマカロニ・ウエスタンのロケ地アルメリアの荒野を思わせる。そしてエドソン・ベランディアの血が騒ぐような音楽。ここでしか生まれ得ない西部劇が、スクリーンの向こうで確かに脈打っている。
“Adiós Amigo”——映画が終わる頃、このタイトルは深い余韻となって心に沁みる。これは単なる別れの言葉ではない。暴力に奪われた全てのものへの鎮魂であり、新しい絆への希望でもある。憎しみを超えて、人間は人間に戻れるのか。その答えは、エンドクレジットに現れるある一枚の写真が、静かに語りかけてくる。かつてのマカロニ・ウエスタンが描いた復讐の果てとは違う、もう一つの地平として。
作品情報
原題:Adios Amigo
監督:イバン・D・ガオナ[Ivan D. Gaona]
キャスト:ウィリンㇳン・ゴルディジョ・ドゥアルテ、クリスティアン・エルナンデス、マリナ・オラルテ、ヨハニニ・スアレス、サルバドール・ブリッジズ
作品公式サイト(スペイン語)
118分/カラー/スペイン語/日本語、英語字幕/2024年/コロンビア
妄想パンフ
B5ヨコ変形、細長い判型で。チカモチャ渓谷の広大な自然を見開きで横長に見せる。内戦の経緯などコロンビアの歴史を紹介。監督インタビューでは「三すくみのシーン」を取り入れた意図について深く伺いたい。