文=小島ともみ
そこで犯罪は起こり、犯罪者もいる。アルゼンチン人監督ロドリゴ・モレノの『犯罪者たち』が強盗映画であるのは間違いない。しかしその本質は、息苦しさから逃れ、自由の可能性を探求する中年男たちの人生再構築の物語であり、ユニークなナラティブで思いがけない方向へ舵を切る予測不能の楽しさに満ちている。
ブエノスアイレスの都市銀行で働くモラン。勤続は長く、キャッシャーの金を金庫に納める役割を任されているほど信頼は厚い。ある日も同じように金庫に行き、隠し持っていた自分のバックパックに現金を詰め込んで姿を消してしまう。だが、ただの銀行強盗ではない。定年までの生涯賃金を計算し、きっちりその2倍の額だけ持ち去ったのだ。初犯で模範囚なら3年程度で保釈になると読み、この先20数年も退屈な人生を送らずに済むのなら、刑務所の3年は十分価値があると考えたのだ。額を2倍にしたのは、協力者の分である。収監されている間、現金を預かってもらう協力者が要る。知らぬ間に白羽の矢を立てられたのは、同じく地味な仕事ぶりで存在感も薄いロマン。突然呼び出されたバーで現金入りのバッグを「預からないなら共犯者だと警察に話す」と半ば脅され、ロマンは渋々バッグを家に持ち帰る。モランはその足で自首して刑務所へ。銀行は顧客の信頼失墜を恐れて事件を隠蔽することにし、ロマンは銀行の雇った内部調査員に悩まされる日々を送ることになる。
物語は2つのパートに分かれており、事件が起こる第1部は70年代の犯罪映画を思わせるルックスと音楽で幕を開ける。モラン(Moran)とロマン(Roman)の名前がアナグラムなのは偶然ではない。映画の冒頭で同じ筆跡の署名が異なるクライアントの書類で発見されるなど、物語は対称性を随所に感じさせる。銀行から多額の金を盗み3年の刑期だけで済むものなのか、消えた現金の行方が取り沙汰されないのは何故かという現実主義的違和感が頭をもたげたとしても、それを気にするのは早計だ。第2部からは、喧噪に満ちたブエノスアイレスを離れ、街とは対照的で自然豊かなコルドバを舞台に、中年の危機ともいえる時期を迎えた二人が自分の人生を見つめ直す世にも不思議なフェーズに入っていく。
モランは刑務所で受刑者たちを仕切るガリンチャに金を要求される。ガリンチャを演じているのは、銀行のボス、デル・トロ役と同じ俳優だ。デル・トロには頭の上がらなかったモランだが、ガリンチャとは渡り合い、刑務所に居場所を見いだす。ロマンはロマンで、同棲関係にあった音楽教師のアパートを出て、新しい恋の虜になる。その相手は、実はモランがコルドバを訪れた際に出会い、出所したら人生を共にしようと考えていたノーマという女性であった。モランとロマンがそれぞれ思い悩む様子は二画面のスワイプでたびたび登場し、この巧妙な仕掛けは、互いに知ることなく、ある点で交差しながらパラレル世界で生きる二人を示す。
モランとロマンは人間関係の築き方には疎いようだ。ロマンは、ノーマたちの撮影(一行は放浪しながら完成の見えない映画を撮っている)スタイルに魅せられ、ブエノスアイレスで落ち合ったノーマとフレッシュな恋人同士の時間を楽しむ。二人が観た映画のひとつが負のわらしべ長者のようなブレッソンの『ラルジャン』。そのストーリーをなぞらえるように、劇中、1枚のレコードが手から手に渡ってゆくのがなんとも洒脱である。やがてノーマは都会の生活に飽いて元の土地に帰ろうとし、引き留めるロマンが昔の殻から脱しきれていない自分に気づき悄然とする。一方でモランは刑務所で文学に触れ、詩を読み漁る。アルゼンチンの忘れられていた詩人、リカルド・ゼララヤンの「グレート・ソルト・フラッツ」を朗々と詠み上げるモランの顔に迷いはない。詩がアイデンティティを確立するアイテムとして使われているのが興味深いところだ。こうした仕掛けや描写から、芸術は人生を豊かにする、という信念のようなものが透けて見えてくる。実際、さまざまな映画から受けた影響を盛り込んでいるという監督。その恩恵にあずかり思いも寄らぬ冒険を楽しんだ私たちに、異論はないだろう。
出所したモラン、迎えるロマンにどんな結末が待ち受けているか。183分という長尺の本作は、ジャンル映画の顔をし、幾重もの回り道をへて想像もつかない地平をみせる独創的な驚きに満ちている。マカロニ・ウエスタン風のエンド・クレジットでPappo’s Bluesの「Adonde Está la Libertad(自由はどこにあるか)」を流すのも、まったくもって人を食った作品である。
TIFF36th 2023/10/28
作品情報
原題:The Delinquents[Los Delincuentes]
監督:ロドリゴ・モレノ
キャスト:ダニエル・エリアス、エステバン・ビリャルディ、マルガリータ・モルフィノ
189分/カラー/スペイン語/2023年/アルゼンチン・ブラジル・ルクセンブルク・チリ
予告編はこちら
妄想パンフ
正方形。銀行の金庫の柵が檻のようにも見えるので、表紙は金庫の柵越しに見える銀行の風景を。裏表紙は、刑務所の柵の外に広がる荒野に(エンド・クレジットのロゴ入りショットで)。表紙の裏には可能ならPappo’s BluesのアルバムVOL1のジャケ写で。劇中で効果的に使われるリカルド・ゼララヤンの詩「グレート・ソルト・フラッツ」、Pappo’s Bluesの歌「Adonde Está la Libertad(自由はどこにあるか)」の解説を。