映画パンフは宇宙だ!

MAGAZINE

【TIFF2日目レポート2】『雪豹』霧雪の彼方のシンビオシス

文=屋代忠重

サル、シカ、クマ、イノシシ、カラス、スズメ……世界のいたるところで獣害被害は発生する。日本でも近年は耕作地の放棄などが進み人里と里山の境が曖昧になり、野生動物と人間の距離が近づきすぎてしまい、たびたびその駆除をめぐって問題になっている。
本作『雪豹』はチベットの高原で起きた獣害被害をめぐって、人間と野生動物が共生していく可能性を問う作品となっている。

テレビ局に勤めるダンドゥルは学生時代の同級生で、いまは出家して僧侶として暮らすかたわら雪豹の写真を撮影することから「雪豹法師」と呼ばれる男から連絡を受けて、クルーを連れて彼のもとを訪れる。クルーのお目当ては、法師の実家に現れた雪豹の撮影だ。移動中もダンドゥルの彼女の話題や、みんなで歌いだすなど、とても和やかな雰囲気だ。目的地にたどり着いた一行を出迎えてくれたのは、法師の父親と兄のジンパ。ジンパは牧畜業を営んでおり、数十頭の羊を飼育している。昨夜、その羊の囲いに雪豹が侵入し、羊9頭を食い殺したというのだ。雪豹を囲いに閉じ込め、報復として雪豹を殺すと息巻くジンパ。そんなジンパをよそに、ダンドゥルは雪豹の撮影を開始する。囲いの外では遠くから雪豹のこどもが、閉じ込められてる親豹を見守っている。IUCNレッドリストではVU(危急種)であり、中国では中国国家一級重点保護野生動物に指定されているだけに、周囲はなんとかして雪豹を助けようとジンパの説得を試みる。しかし、ジンパも羊を9頭もやられてしまって大損害だし、その分の補償がおりなければ到底納得できない。そして遂に役人や警察までも巻き込んでいく……。

本作はこの雪豹をめぐる対立を中心に描いている。ただ、この後のやりとりを見ていると、ジンパが求めているのはあくまで被害の補償であって、雪豹の駆除ではないことがわかる。その怒りと悲しみを、口角泡を飛ばしながらカメラにぶつけるジンパの姿は、プロレスラーのパフォーマンスのようで、もはや滑稽にさえみえる(実際に劇場でも笑いが起きていた)。しかしそんなジンパの姿を見た周囲は、羊を失った怒りで報復的に雪豹を殺そうとしている男ととらえ、誰も彼の無念さに寄り添おうとしない。それどころか興味関心のほとんどは雪豹に向いており、動画鑑賞や撮影など、雪豹の解放、保護ありきで動いている。現実でも各所で雪豹による牧畜への獣害が発生しており、保護動物と害獣の双極性から被害農家は対応に苦慮している。きっと観客も雪豹の保護に傾いてるだろうことを、監督は見越しているのだろう。眉間にシワを寄せて険しい表情のジンパと、仲間のお誕生日会を開いたりするお気楽な周囲のギャップが強調され、そのあまりの気まづさに苦笑する。そして役人、警察が到着しても速やかな補償の確約がないことに、ジンパは強硬な姿勢を崩さない。みかねた父が、法師とラサへ巡礼するために貯めていた旅費を補償に充てるという提案をするが、これさえも一蹴する。「羊の1、2頭なら施しだと思って諦めるが、9頭はあまりにも大損害だ!」その言葉の裏には、もはや補償とか雪豹とかどうでもいい、誰か自分の気持ちに寄り添ってくれ!そんなジンパの心の声が聞こえてきそうで、その叫びはあまりにも悲痛だ。日本でも熊の出没がニュースになるたびに、その対応をめぐって論争が巻き起こるが、まさにそれとダブってみえる。。

しかしそんな中、法師だけはジンパとも他の人々とも違う視点を持っていた。ジンパを説得する父親によると、チベットでは雪豹は雪山の精霊と考えられており、それにまつわる伝説も多く残っているという。それを裏付けるかのように、ときおり雪豹法師は雪豹との奇妙なフラッシュバックを体験する。二人の視点がシンクロナイズドされたそれは、過去に彼が体験したできごとなのか、はるか昔に彼によく似た僧侶が体験した伝説をみているのか、はたまたただの幻か……。幻想的な映像の中に真実を見出すことは難しいが、彼と雪豹の間には精神的な交流が芽生えていることは間違いない。そして彼がみる情景は、お互いに命を助け合う姿である。きっとそれは法師が最も人と動物の共生に真摯に向き合っているからこそ触れることができるビジョンなのだろう。この視点のおかげで本作が単純な二項対立に終始せず、作品のテーマにさらなる深みを与えている。ジンパの叫びや法師のフラッシュバックがみせたものは、本当の共生とは人間も含めたあらゆる生物たちの感情との共生であるということなのかもしれない。

本作に込められたテーマに関してもっと深く知りたかったが、ペマ・ツェテン監督が今年の5月に急逝してしまい、その真意は雪豹とともに霧雪の彼方へ消えてしまったのが悔やまれる。

36thTIFF 2023/10/25

作品情報

監督:ペマ・ツェテン [万玛才旦] キャスト:ジンパ/ション・ズーチー/ツェテン・タシ
109分/カラー/チベット語、北京語/日本語・英語字幕/2023年/中国
予告編はこちら

妄想パンフ

B5正方形。表紙にはアップになった雪豹の目に法師の姿が映る。
雪豹にまつわるデータや、猟師、IUCNのコメントなど、人間と野生動物の共生について考えられるような内容。作中にも少し触れられているチベット語講座なんかもあると嬉しい。

Share!SNSでシェア

一覧にもどる