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【TIFF2日目レポート1】移りゆく街と、揺れる心の機微を描く香港映画『離れていても』

文=小島ともみ

幼少期の記憶や思い出は、良きにつけ悪しにつけ、その後の人生に何かしらの影響をもつ。それが温かいものならば、心の故郷として、傷ついたり落ち込んだりしたときの支えになってくれるかもしれない。ただし、それが家族にまつわるものならば、事情はまた違ってくる。切り捨てたくても切り捨てられない呪縛としてつきまとってくる厄介な代物だ。

8歳のユアンは、父と暮らすため母とともに中国湖南省から香港に移り住む。イギリスから返還された直後の香港の街は、彼女にとって全てがまぶしく、新鮮だ。しかしそのきらめきは「よそ者」であるユアンたちまでは及ばない。言葉の壁と貧困に加え、父は麻薬中毒で気分に波があり、刑務所を出たり入ったりするような男である。当然、定職もない。ユアンの唯一の願いは、湖南省に残る妹も呼び寄せ、家族4人で新しいスタートを切ることであったが、妹が来ても状況は変わらないどころか悪化していく。学校になじめず、家では暴力も辞さない父親の顔色をうかがう毎日。やがて思春期を迎えると、姉妹は父親からも、家からも逃げようと抗い始めるが、「思い出」が邪魔をする。

この父親が本当に酷い。姉妹たちの前で麻薬を使い、買う金がなくなると彼女らの持ち物までひっくり返して無心する最低のクズ男である。父親の代わりに働き、ほとんど家にいない母親に代わって、面倒を起こす父を世話してきたユアンは、父を見限りたい気持ちと、完全に捨てきれない気持ちの間で大きく揺れる。優しかった父の思い出が、彼女を苦しめるのである。共感性の高い妹も、父に手を差し伸べ続ける。

日本でも近年、問題性が強く指摘され、社会的関心を集めるヤングケアラー。姉妹はまさにそれだ。一家は密入境で香港にやって来ており、仮にあったとして、もちろん行政の助けは望めない。頼りになるのは同じように危ない橋を渡ってきた隣人たちで、生活は経済面でも安全面でも脅かされ続けている。そんな父親、さっさと捨ててしまえばいい、と思えるのは他人の論理だ。毒親であっても「縁を切る」ことに罪悪感を覚えるのは、どこの国でも事情は同じだろう。そして毒親ほど毒気のないときにはいい顔をしようとする。ユアンの父親も例外ではなく、寛容さを示さないことが悪であるかのような手を使ってくる。なぜ距離を取ってくれないのだろう。気の向くときに与える掛け方の間違った愛情がどれほど迷惑なことか。

物語は、97年から10年ごとに2017年まで、移り変わる香港の街の風景も織り交ぜながらゆるやかに進んでいく。無垢な少女時代から多感な年ごろを経て大人として独立していく姉妹の月日の移り変わりを感じさせる仕掛けには、やや欠けてはいる。プロデューサーを務めるのは、昨年公開20周年記念を迎え日本でも劇場公開された4K修復版『ランユー』の監督、スタンリー・クワン。『ランユー』を彩った懐かしい、在りし日の香港の情景がほんのりと心地よくにじんでいる。壮絶な家族の20年間ではあるが、誰かひとりの感情に肩入れせず、家族の絆と社会的背景を巧みに組み合わせ、観る者に多角的な視点で物語を捉えるよう促す。添乗員になったユアンが日本旅行をアテンドする場面は、かつて憧れたまばゆい香港の、あの感覚を求める気持ちがあるのかもしれない。根ざす地のない自由さと寂しさは表裏一体だ。父との思い出はこの後もユアンを苦しめ、時に救いになるのだろう。家族という呪いは本当に厄介なものである。

36TIFF 2023/10/25

作品情報

原題:Fly Me to the Moon[但願人長久] 監督:サーシャ・チョク[祝紫嫣] キャスト:ウー・カンレン、サーシャ・チョク、アンジェラ・ユン
113分/カラー/広東語、北京語、湖南方言、日本語/日本語・英語字幕/2023年/香港
予告編はこちら

妄想パンフ

B5タテ、表紙と裏表紙は見開きで香港の全景写真を、裏部分には1997年当時、グラデーションで表表紙は2017年の風景に。中国から越境して香港に向かう人たちの状況や背景を知りたいので、その解説をぜひ。ある場所のユリ畑が家族の大切な思い出になっているが、光景としては出てこない。本文の見開きでその光景を見せたい。

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