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【PATU REVIEW】無垢の邪悪-「Unschuld」から「超人」への飛翔

文=小島ともみ

※以下のレビューは内容の核心に触れている部分があります。

 主人公パールの無邪気さと狂気を融合させた衝撃的な描写で綴られる『Pearl パール』。本作が描き出すのは、自己実現のためなら何を犠牲にするのも厭わないパールの極端な自己中心性と特異な価値観である。これはまさしく、強者の独立と力への意志を重視するニーチェの『善悪の彼岸』的世界観を映し出すもので、観客はそこに人間性の深淵を垣間見ることになるだろう。
 登場の時点から「異様さ」を感じさせるパールの特異性は、極彩色の甘く長閑な映像の中で白昼夢のように徐々に明らかになっていく。彼女は生命を奪うことに何の抵抗も感じないどころか、魅了されている節すらある。さらに彼女が身動きの取れない父親の鼻先で平然と全裸になる(脚を高々と上げさえする)シーンは、その抑制のなさと普遍的な善悪の枠組みから外れた存在感を視覚化した最たる瞬間だろう。母ルースはいつ暴発するとも知れないその「時限爆弾」に気づいており、執拗なまでにパールを叱責して小さな世界に囲い込もうとする。思春期の自我の芽生えと共に自由と解放を希求するパールにとってそれは抑圧以外のなにものでもないが、怪物を外に解き放たない責任、それでも幸せを掴んでほしいという複雑な親心のあらわれでもある。そんなルースもまた、「Unschuld」なパールの欲望に飲み込まれていく。膨張のとまらないパールの自我によって、「夫を殺して自由になりたい」という本音を吐露させられ、破滅に導かれていくのである。
 パールの欲望は、残酷でありながらも人々を引き付け、一部の人々を嫉妬させる力を秘めている。ニーチェのいう「生長して周囲を掴み、自己に引きつけ、優勢を占めようと欲する(中略)生はまさに力への意志である」だ。嫉妬の餌食になった母親に対し、惹きつけられて身を焦がすことになるのが夫のハワードである。戦争から帰還した彼は、家の惨状やパールの狂気に満ちた笑顔に出迎えられて凍りつく。映画『Pearl パール』はそこで終わるが、『X エックス』を観た者なら、彼が逃げ出すどころかパールに添い遂げ、彼女の犯罪をもみ消し続けることを知っている。第一次大戦を経た後でホラー映画には大きな変化があったといわれている。実際の経験が反映され、恐怖や死に対する表現が変化し「生ける屍」や「ゾンビ」などのアイデアが生まれることになったのだという。ハワードの心も戦争の恐怖と死に晒された結果、鈍化していた、というのは想像に難くない。パールと彼女の残虐な世界に浸ることは傷ついた彼に安堵感をもたらす癒しだったのかもしれない。一方、同情や親切な援助の手を差し伸べる「畜群的価値観」に囚われている者は、パールの揺るぎない悪に打ちひしがれ、容赦なく始末される。
 ニーチェは『善悪の彼岸』のなかで「善悪の彼岸にあって自分の徳の主人であり、有り余る意志を持つ者こそ、最も偉大な者であるべき」と述べている。これは人間は本質として、自分が強くありたい、支配したいと願う存在であり、その「力への意志」こそが人類を強くするという意味である。さらにニーチェは「独立であるということは、極めて少数の者にしかできない事柄である。それは強者の一つの特権なのだ」とする。パールを、この理念を極限まで押し進めた超人的存在だと見なすなら、スターになるため手段を選ばず、夢を邪魔するものは障害物とみなして排除する冷静さも「頭では」理解できるというものだ。
 『Pearl パール』はひとりの少女の情動の暴走を憧れと夢という甘やかな器に盛りつけて差し出す。それは「善悪の彼岸」の世界を具現化したかのような、異質で強烈な印象を視覚的に突きつけられる体験である。
 さて、ミア・ゴスの驚くべきパフォーマンスによって鮮やかに演じ分けられた「パール」と「マキシーン」。三部作の完結編、『X エックス』の続編にあたる『MaXXXine』では、老パールの襲撃から生き延びたマキシーンのその後が描かれる。もう一度ニーチェの言葉を引くなら、「怪物と闘う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい」。強烈な「Unschuld」に晒されたマキシーンの精神は何らかの影響を受けているに違いない。彼女自身もまた怪物と化してしまったのか、あるいは彼女を受け入れて世界のほうが変わるのか。ふたつのキャラクターの集大成として、その結末を迎え入れずにはおけない。『MaXXXine』も日本公開されることを強く願っている。

 A24作品ではおなじみとなったヒグチユウコ氏と大島依提亜氏のコラボレーションによるオルタナティヴポスターが、この『Pearl パール』でも楽しめる。特有の繊細さと優雅さを伴いつつ、映画のダークなテーマを巧妙に描き出した2枚のうち、個人的にはパールのふたつの顔が水面に浮かぶ1枚がお気に入りだ。映画の中に潜む闇と混乱を、一見キュートでお洒落な表現で覆い隠すという、A24の得意とする手法を余すことなく表現してるように感じられる。
 これは米ホラー映画界のもう一巨頭、ブラムハウス・プロダクションズのアプローチとは対照的で、食べ物に喩えるなら、ブラムハウスが、肉汁したたりチーズの溢れるハンバーガーのように、食べる前に味が分かっていながら空腹を感じさせてやまない「直接的な恐怖と暴力」を提供するのに対し、A24が差し出すのは、見た目はカラフルで可愛らしいドーナツだ。好奇心に駆られて手を伸ばし、食べてみてはじめてその毒気に気づき、時にやみつきとなる。空想と現実のあわいをいくヒグチ氏のタッチと映画の世界観を新たな切り口で映し出す大島氏、2人のスタイルが組み合わさることで生まれる特異な世界観は、映画のテーマと完璧に同調し、視覚的なコンテクストを提供して物語を一層強化している。その強度は、映画を見る前から観客の心を揺さぶるだろう。この体験に今後ともあずかりたいものである。

 そして、『Pearl パール』パンフレットを手がけたのは、『X エックス』に続き大島依提亜氏。一見ふつうに見えて、手に取ると「X」の形に切り抜かれている表紙を踏襲しつつ(切り口にあらわれる顔にドキリとさせられる)、60年前にさかのぼったレトロ感あふれるデザインにときめく。『Pearl パール』で引用されている、あるいは背景にある過去の映画を徹底紹介したレビュー、映画を華やかに盛り上げる劇伴について含んだプロダクションノートなど、読み応えも十分。『X エックス』では劇中劇「農場の娘たち」のプログラム的挟み込みがされていたが、今回挟み込まれるのは、もちろん、誰もが手にしてみたくなる「アレ」である。そして最後のページにあらわれる「広告」に歓喜するだろう。実現の可能性は分からないが、この力強い願いともいうべき堂々たる1ページには未来がある。

作品情報

監督:タイ・ウェスト
脚本:タイ・ウェスト、ミア・ゴス
出演:ミア・ゴス、デヴィッド・コレンスウェット、タンディ・ライト、マシュー・サンダーランド、エマ・ジェンキンス=プーロ
配給:ハピネットファントム・スタジオ
原題:Pearl|2022年|アメリカ映画|上映時間:102分|R15+
公式サイト

パンフレット情報

発行日:2023年7月7日
編集・発行:ハピネットファントム・スタジオ
デザイン:大島依提亜・中山隼人
編集協力:ガイエ
定価:¥1,000(税込)

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『Xエックス』(2022)

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