文=屋代忠重
本作の主人公シャキーブにはかつて妻子がいたが、ある出来事により独り身となり、いまは路上生活者に身をやつしている。普段は友人の店に身を寄せながら、日雇い労働によって得た収入で、ラーダンという聾者の娼婦と遊ぶために売春宿に通う日々だ。友人からそのことで苦言を呈されるが、全てを失ってしまったシャキーブにその忠告は届かない。その日もいつも通り、日銭を稼いで一日が終わるはずだった。
連れてこられた現場でシャキーブはノスラティという金持ちが、大枚をはたいて出資した映画の撮影セットの設営から食事係、はてはエキストラまでこなしていた。そしてヒトラー役の俳優が降板してしまい、ひょんなことから代役に抜擢される。雨漏りのするガス室のセットで寝泊りする生活から、快適な邸宅のセットでの暮らしになり、適当な演技でギャラまでもらえる、彼の人生が好転し始めたかに見えた。
撮影の最中、元締めから逃げてきたラーダンを匿うために、シャキーブは撮影現場を混乱させながら奮闘する(ヒトラーの恰好をした彼が、彼女を屋敷の床下に匿う画は何とも皮肉である)。事態を一変させる大事件が起きてしまう。事態の収拾をめぐって、出演者であるシャキーブ、ラーダンを連れ戻そうとする売春宿の元締めファルシド、なんとしても映画を完成させたいノスラティと映画監督、撮影現場を跋扈する権力者たちがパワーゲームを繰り広げる。お互いに失いたくないものを守るために、とにかく相手の弱みに付け込んでいくその様子は、まるでけん制し合う大国同士のようだ。
事件の真実が闇に葬られていくなか、パワーゲームの勝者が徐々に明らかになる。ヒトラーの衣装を着たシャキーブの虚ろな目は、ガス室に収容されるエキストラへ向けられる。これから起きることを知らされずに、助けを求めて扉に殺到する人々。シャキーブの脳裏に去来するものは、かつてヒトラーが見た景色とリンクしてしまったのかもしれない。
「歴史は繰り返さないが、たまに韻を踏む」
映画の冒頭で紹介されるマーク・トゥエインの一節のとおり、シャキーブは最後にちょっとした歴史の韻を踏む事になる。しかも最悪の形で。
ヒトラーの映画を撮影しているにも関わらず、第二次世界大戦の混乱に似た状況が撮影現場で起きていることに、誰ひとり気づかない様子は異様である。しかしそれは私たちの生活の中にも潜んでいて、無自覚に彼らと同様、歴史の韻を踏んでいるのかもしれない。そんな空恐ろしさを感じる、痛烈な風刺のきいた作品だった。
35thTIFF 2022/10/29
作品情報
監督:ホウマン・セイエディ
キャスト:モーセン・タナバンデ/マーサ・ヘジャーズィ/ネダ・ジェブレイリ
107分/カラー/ペルシャ語/英語・日本語字幕/2022年/イラン
予告編はこちら
妄想パンフ
・B5ヨコ。表紙に地面に泥だらけで脱ぎ捨てられた囚人服。
・イランの映画製作事情や、売春宿や聾唖者の社会的立場や、貧困層の社会事情の解説があると理解が捗る。