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【TIFF4日目レポート2】お前の闇に名前をつけろ『マンティコア』

文=屋代忠重

ホラー映画において幽霊や怪物より、人間が一番怖いと言われることがある。
想像の産物であるクリーチャーより、実在する人間の方が現実にイメージできるからだ。ゲーム会社でクリーチャーのCGデザインをしている本作の主人公、フリアンは「クリーチャーよりも、人間の方がみんな見慣れているから誤魔化しがきかず難しい」と話している。もしその怪物が、自分の欲望を見透かしたように目の前に現れたら? そんなタチの悪い空想が実際に訪れたとき、あなたならどうするだろうか? 本作は自身の怪物に絶望したフリアンと、父の最期を看取れなかった後悔に苦しむディアナの、世にもいびつな愛の物語を軸に、誰もがもつ内心と想像という深い闇を描く。

フリアンのデザインしたクリーチャーは社内でも非常に高い評価を得ている。彼が開発に携わっているゲームは、暴力描写やゴア表現に相当なこだわりをもっており、会議でも嬉々として人体損壊描写のプレゼンを行う。フリアンはVRヘッドセットを使用してクリーチャーをデザインしており、現実世界からは、彼が何もない空間でただ変な動きをしているようにしか見えない。一見、フリアンがデザインしているだけの、滑稽にさえ見えるこのシーンは、彼が内心の怪物を生み出していることのメタファーともとれる。そして彼の闇で育った怪物は、ペドフィリアとして発現していくのである。

『マジカルガール』(16)で日本での知名度を高めたカルロス・ベルムト監督は、映画の余白を巧みに使うことでも知られている。本作で彼が私たちに提示した余白は、真っ黒に塗り潰されたページだった。クリスチャンのモデリングを使って自慰行為に及ぶ際、フリアンはCGのクリスチャンを動かしてポーズをとらせている。どんなポーズかは見せず、観客にどす黒い想像力を促す。しかも頭の位置はここら辺という仕草をフリアンにさせ、知りたくないヒントまで与えてくれる。観客には余白に各々の解釈を書き込む隙を与えず、暗闇の中に潜ませた何かを想像させ、さらには闇の中から見られている不安さえ感じさせる見事な演出だ。結局、児童の絵を描いた件が会社にバレて、フリアンは社会的に抹殺されたも同然となる。確かに児童ポルノ、ペドフィリアは咎められて然るべきだが、一方で残虐性に満ちたゲームを和気あいあいと制作しているのは何の問題もないのか?日本のサブカルチャーにも造詣が深いベルムト監督ならではの視点がここに示されているのではないかと思う。日本では、美少女の性的なイラストが使われるゲームはまかり通るが(かつては児童ポルノ天国とさえ言われていた)、残虐描写に対しては非常に厳しい目が向けられている風潮を映しているようにも感じられるのである。追い詰められたフリアンは超えてはならない一線を超えようとするが、闇に潜んでいた怪物が目の前に現れる。それを目にした彼の絶望たるや。さらにその直後のシーケンスでも、彼の表情は映さないことで、観客に彼の絶望の度合いを推し量らせる。

自己の内心の自由は守られるが、それが表に出るとなると話は別。それが一般的な社会通念だ。しかしフリアンとディアナがプラド美術館で観た黒い絵だって、ゴヤの内心の発露であったはずだ。「我が子を食らうサトゥルヌス」を観た人々が、彼を異常者だと思っただろうか? イメージのアウトプットに対して下される社会的制裁の境界線は、その時代の多数派で決まる、非常に曖昧で紙一重なものなのではないか? ベルムト監督はそんな疑問を、エリアスに託してそっと忍ばせたのかもしれない。個人の内心は誰も見ることができない闇の中だ。動物は火を恐れ、人間は闇を恐れる。闇を恐れるなら、その闇に名前をつけてしまえばいい。そうすれば闇ではなくなるから。きっとマンティコアという名前がふさわしい。

35thTIFF 2022/10/28

作品情報

監督:カルロス・ベルムト
キャスト:ナチョ・サンチェス/ゾーイ・ステイン/アルバロ・サンス・ロドリゲス
116分/カラー/スペイン語/英語・日本語字幕/2022年/スペイン
予告編はこちら

妄想パンフ

・A5版タテの判型。鑑賞の前後で印象が変わるマンティコアを象ったビジュアルポスターが表紙。
・とにかく監督の日本愛が強く出ているので、元ネタ集が欲しいところ。また作中にも名前が出てくる伊藤潤二先生のイラストコメント、欲を言えば『ライトハウス』のパンフのようなコミックが掲載されると嬉しい。

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