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【TIFF3日目レポート2】微笑む羊は今夜も贖罪の血を流す『セルヴィアム-私は仕える-』

文=屋代忠重

21世紀に入って次々に暴かれた未成年者に対する性的虐待事件をはじめ、カトリック教会によるスキャンダルは世界中で後を絶たない。本作の舞台となったオーストリアも例外ではない。少し古いデータではあるが、2020年1月に発表された在オーストリア日本大使館の月報によると、2019 年のカトリック教会脱退者数が前年比約15%の増加だった。さらに引用を示すと以下のような状況であった。
“カトリック教会の発表によると、2019 年にオーストリアでカトリック教会を脱退した信者は前年比 14.9%増の6万7,583 人に上った。この数字は 2010 年の8万9,960 人に次いで史上2番目である。これにより、オーストリアにおけるカトリック信者は 2019 年末現在で前年同期比 1.35%減の約 498 万人(注:人口の約 56%)となった。減少幅が最大であったのはクラーゲンフルト州(同 63.9%増)である。同州では司教が背任の疑いで検察の捜査を受けている。また、カトリック教会内における子供に対する性的虐待が脱退者増加の原因として挙げられている。”
ウィーンにある富裕層の子女が通うカトリック系の寄宿学校で行われる、女生徒への虐待と隠ぺいを扱った本作が制作されたタイミングを鑑みれば、これらの背景が作品に影響を及ぼしたことは容易に想像できる。監督のルート・マダーは、ほとんどカメラを動かさず、宗教画のようなシンプルで力強い、まるで時間が止まったような構図で、『サスペリア』(1977)や『ピクニックatハンギング・ロック』(1975)を彷彿とさせる、静かに、そして着実に狂気に蝕まれていく学園の人々を描いている。

教義の重要性が失われつつある寄宿学校において、信仰に熱心なマルタは特別優秀な学生だった。聖餐式では学生たちを率いるほどで、シスターも彼女を特別にかわいがっている。学生たちの保護者をはじめ、世の中が金や権力、肉欲に支配されている状況に危機感を抱いているシスターは、マルタこそが学園に信仰の大切さと、教義の尊さを取り戻してくれる救世主になると期待し、マルタもその期待に応えようと、シスターから渡された贖罪の鎖(シリスベルト)を身に着ける。この贖罪の鎖とは、棘状の鎖を体に巻くという自傷行為を通じて、キリストが受難で受けた痛みを分かち合い、信仰の強さを確かめるための道具である。映画『天使と悪魔』(2009)で見覚えがある人もいるだろう。自らを痛めつけ、贖罪の鎖によってできた傷を聖痕だと無邪気に喜ぶマルタの隷属的道徳観を利用して、贖いのいけにえに利用しようしたシスター。他者からの愛を恐れ、痛みでの贖いに救いを求めるその姿は、ニーチェが“キリスト教はルサンチマンの宗教”と断じたそのものにさえみえる。

そんな二人に対してアレクサンドラは教義や信仰に懐疑的である。聖餐式では聖体拝領で与えられた、キリストの肉体でもあるウェハーをこっそり吐き出し収集している。ひょんなことからマルタが着けていた贖罪の鎖を手に入れ、試しに巻いてみたり外した鎖を聖像の足に付けるという、教義を何とも思わない、マルタとは違った無邪気さがうかがえる。彼女のルームメイトで、教義に無関心だったザビーネもアレクサンドラに起きた出来事をきっかけに、寄宿舎で起きている異変に気づき始める。
そしてシスターも自分の行いが招いた事態に苦悩し始める。しかしもう止まることはできない、なんとしても護らなければならない。私が奉仕するもののために。誰も手を差し伸べてくれない手詰まりな状況で、やがて二人の疑念と行動により追い詰められたシスターが、最後にたどり着いた場所は思いもよらぬ所だった。そこまでに到る過程で、ここまでの経緯を把握し、散々シスターとマルタを煽っておきながら、事態が急変すると保身と隠ぺいに走ったある人物こそ、ルート・マダー監督が糾弾したかった対象なのではないか。
ラストシーンでシスターを出迎える人々の無垢な笑顔が、その人物の業の深さをより際立たせている。

35thTIFF 2022/10/27

作品情報

監督:ルート・マダー
キャスト:マリア・ドラグシ/レオナ・リンディンガー/アンナ・エリーザベト・ベルガー
105分/カラー/ドイツ語/英語・日本語字幕/2022年/オーストリア
予告編はこちら

妄想パンフ

A5判タテの判型で、ビジュアルポスターにある贖罪の鎖でつくられた十字架が表紙。
カトリック教会のスキャンダル問題が学べるような内容。劇中で取り上げられている引用なども解説が欲しい。

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