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【PATU REVIEW】当時を生きた人々の「ユーモア」の裏にある、忘れてはいけないこと『ベルファスト』

文=鈴木隆子 イラスト=喜田なつみ

道端や路地裏で、木で出来た手作りの剣と盾に見立てたゴミ箱の蓋を持って勇者ごっこをしたり、ホップスコッチ(日本で言うケンケンパ)をしたりして街中を走り回る子どもたちと、その子どもたちに気軽に声を掛ける大人たちを映し出しながら、本作の幕が上がる。
笑い声に包まれ、キラキラと眩しいほどの多幸感にあふれるその街の名は、北アイルランドにある「ベルファスト」。
ご近所どうし別け隔てなく接する人々によって形成されているこの街は、全体がまるで大きな家族のよう。都心での生活が長く、またここ数年コロナによって家族や近しい人たちとの物理的な距離が離れてしまった私は、人々の温かさや人情に満ちているこの街に一気に魅了されてしまった。

しかし次の瞬間、街中で突如暴動が起きる。暴徒化した人々はそこら中の民家の窓ガラスを割り、銃を乱射している。その中にはつい最近互いに言葉を交わしたばかりの隣人の顔もある。まるでファンタジーかと見紛うほどの急激な場面転換。それは、本作の監督でベルファスト出身のケネス・ブラナーが実際に体験した記憶のままを描いたという、1960年代末から約30年も続いたプロテスタントとカトリックの宗教対立「北アイルランド紛争」に突入した瞬間だった。

ケネス・ブラナーは、当時の自分を主人公のバディ(ジュード・ヒル)に投影し、北アイルランド激動の時代を彼の目線を通して描く。ケネス・ブラナーというと、マーベル映画『マイティ・ソー』(2011)や『シンデレラ』(2015)のほか、自ら主演も務めた、アガサ・クリスティーの原作を映画化した『オリエント急行殺人事件』(2017)や『ナイル殺人事件』(2020)など、壮大なSF・ファンタジー・ミステリー作品のいわゆる大作を手掛ける監督というイメージがあった。しかし本作は、どの国のどこにでもいる、誰が見ても身近に感じられるようなある一家に焦点を当て、当時を生きた人々の暮らしや心の動きを、丁寧に、時にユーモアを交えながら観る者に伝える。監督の個人的な体験を元にしているということもあり、現実的でより人間味のある今回の作風は、ケネス・ブラナーにはまだまだ引き出しがあるのか…! と感じさせ、それは嬉しい驚きだった。

自分たちの力ではどうにもできない時代の渦に飲み込まれそうになりながらも、どう生き抜いていくかを模索し幸せを諦めない人々の姿。また、紛争の渦中にいながらも人々はユーモアを忘れなかった。声を出して笑ってしまうようなシーンも沢山あるのだが、その理由は、この時代をアイルランドの人々は「ユーモアで乗り切るしかなかった」からだと、ベルファスト出身の、パ役(バディの父親)を務めたジェイミー・ドーナンは語っている。
1998年の和平合意に至るまで何世紀も過酷な状況が続き、何世代にも渡ってアイルランドの人々は苦しんできた。そんな中でも、ユーモアをもって前を向いて生きていたのだというそのたくましさ(たくましく生きなければならなかった、とも思う)と明るさは、光と影のように、その分暗い歴史を歩んできたという証拠である。

紛争勃発を期に街は分断され、有刺鉄線が巻かれたバリケードが張られるのだが、そのすぐ向こう側には、映画の冒頭でも繰り広げられた子どもたちが遊んでいる光景が再び現れる。
それは当時の現実を映し出しているとともに、力をもってしてでも変わらない、変えられない人々の日常があったのだという紛争への皮肉を描いているようにも見えた。

宗派・宗教・人種・ジェンダー…これらの違いを理由として、今もなお世界中で差別や紛争が繰り返されている。現在も続いているロシアのウクライナ侵攻も同様に、危険だからもうここにはいられないと、ずっと住んでいた故郷を追われる人々が沢山いる。
大きく歴史が動いたその背景で、バディの一家やベルファストの住人たちのように、幸せな日常を強制的に奪われた罪の無い人々が大勢いたということを忘れず、そしてこのことを繰り返し思い出すべきだ。今ここ日本で暮らしている私ができることは限られているとしても、こうして文章を書いたりして小さくても声を上げていこうと思う。

今、身の危険にさらされ、自分の意志とは関係なく、日常を手放さなければならなかった人々が、一刻も早く愛する故郷に戻り早く元の生活を取り戻せるようになることを願う。

作品情報

『ベルファスト』(2021)
監督・脚本:ケネス・ブラナー
出演:カトリーナ・バルフ、ジュディ・デンチ、ジェイミー・ドーナン、キアラン・ハインズ、コリン・モーガン、ジュード・ヒル
作品公式サイト
2021年/イギリス/ビスタサイズ/98分/モノクロ・カラー/英語/5.1ch

パンフ情報

【奥付情報】
発行日:2022年3月25日
発行者:大田圭二
発行所:東宝株式会社映像事業部
編集:株式会社東宝ステラ
デザイン:ダイアローグ
印刷:成旺印刷株式会社
定価:880円(税込)
カラー/B5/24ページ

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『ナイル殺人事件』(2022)
【奥付情報】
発行日:2022年2月25日
発行・編集:株式会社ムービーウォーカー
編集人:佐藤英樹
デザイン:佐藤裕紀子
印刷:成旺印刷株式会社
定価:880円(税込)
カラー/B5変形

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