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【PATU REVIEW】1982年生まれ、ジア・リン『こんにちは、私のお母さん』

文=パンフマン イラスト=あずさ

映画を観る前に一番気になるのが、その作品にパンフレットがあるかどうか。1月7日に公開された中国映画『こんにちは、私のお母さん』(2021)も、その点が気がかりだったのだけど、配給会社がハーク様だとわかり、あるはずと確信できた。というのも、2年前の『#HelpThe映画配給会社 応援キャンペーン』に応募したところ何冊かパンフをいただいていて、作品それぞれに作ってくださっているという安心感があったからだ。事前にパンフがあるかどうか気になる方はまず配給会社さんの名前を確認するのも一つです。

『こんにちは、私のお母さん(原題:你好,李焕英)』は母と交通事故に巻き込まれたことをきっかけに、20年前にタイムスリップした娘が、若き日の母を幸せにしようと奮闘するというストーリーで、中国では約1億2千万人が劇場へ足を運び、興行収入は8億2,200万米ドルを超える大ヒットを記録したそうだ。監督のジア・リンはこれがデビュー作でありながら、パティ・ジェンキンス監督の『ワンダー・ウーマン』よりも世界最高の興行収入を獲得した女性監督となった。公式パンフレットには一つの作品を深掘りするYouTubeのチャンネル『活弁シネマ倶楽部』で映画評論家・森直人さんとの「徐さん、どうご覧になりましたか?」の掛け合いでおなじみである映画ジャーナリスト・徐昊辰さんの寄稿文が掲載されている。中国の最新映画事情に詳しい徐さんならではの、ヒットの背景、監督ジア・リンの辿った経歴が書かれているので、非常に参考になった。パンフには1980年代の中華人民共和国というあまり現代映画には馴染みがない時代が舞台になっているため、登場する固有名詞の解説も載っていて、作品の理解を深めてくれている。

主人公が過去にタイムスリップし、若き日の両親と出会う物語は『バック・トゥ・ザ・フューチャー(以下、BTTF)』(1985)が定番だが、本作が少し違うところは時代設定が劇場公開時の2021年より20年前の2001年に設定されていて、そこからさらに過去の1981年に移動するところだ。BTTFでは舞台は映画公開と同じ時代の1985年に設定されていた。この1981年は中国にとってエポックメイキングな年であったのだが(詳しくはパンフ参照のこと!)、この年が選ばれたのには監督の個人的な理由がある。交通事故で母親を失っているジア・リンは自分が生まれた1982年の前年をタイムスリップする時代にした。最初はコメディエンヌことを生かし、テレビ番組のコントとして、披露していたエピソードだったものを長編映画へと変えていった。ここで思い出すのが、ポン・ジュノの言葉「最も個人的なことが最もクリエイティブなことだ」。

他にもBTTFと異なる点がある。それは過去に戻り、自分が生まれなかった歴史を作ろうとするところだ。BTTFでは自分が生まれなかったことになり、存在しなくなるのを防ごうとしていたが、自分を恥じるジア・リンは自身がいなかったことにしようと奮闘する。ここが宣伝の通り、コメディになっていて、本作は笑いどころが多いのだが、最初は正直テンポが緩すぎるし、ギャグが鈍臭かったり、これでは128分の上映時間になるのも仕方ないと思っていた。しかし、これは1980年代を描くには合っているとも思った。逆に今風の洗練された笑いでも違和感がある。実際のところ、当然ながら、彼女は本業である笑いのことを分かってないわけはなくて、ベタとシュールの使い分けや笑いに対して一歩引いた批評的な見方も登場させている。同じ年に生まれ、全く別の道から映画監督になったクロエ・ジャオを揶揄したようなセリフも出てきた。字幕に関しては本田由枝さんが担当されていたが、とても苦労していることが伺えた。日本語字幕だけでは伝わりにくいセリフもあって、中国国内の劇場では日本よりも相当ウケていたに違いない。

1981年の中国の片田舎ではモノクロテレビがやっと購入できる、そんな隔世の感がある時代が独特のテンポで描かれ、緩い笑いにも次第に慣れてくるとすっかりタイムスリップしてきた物語であることを忘れていたのだが、いつかは元の時代に戻らなければならない。デロリアンはないけど一体どうなるのか。突然訪れる別れの時。最後は笑いだけではなく愛と涙の物語でもあったことに気付かされた。

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