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【PATU REVIEW】市役所見学の時間です『ボストン市庁舎』

文=パンフマン イラスト=映女

市役所見学ツアーに行く気持ちで『ボストン市庁舎』を観てきた。上映時間が272分と約4時間半もあるけど、監督のフレデリック・ワイズマンの過去作『動物園』『競馬場』などの単一施設と違い、今回被写体となる市役所は担う役割が多岐にわたるため、長くなるのはやむを得ないと思う。予告編に登場する警察、消防、保健衛生、結婚、ごみ収集、催事など以外にも、他にこんな場所とも関わりがあるのかと驚かされるシーン、思いがけない場所も描かれていて、上映時間ほどの長さは感じなかった。

本作はナレーションがないドキュメンタリーで、1960年代に米国で始まったダイレクト・シネマの流れを汲んだ形式の映画である。先日全国24カ所の劇場で行われた「現代アートハウス入門 vol.2」で上映された『セールスマン』(1968)の監督メイズルス兄弟も同じ形式の撮影で活動をスタートさせているという共通点がある。アフタートークで講師を務めた想田和弘監督はこの2者の違いを端的にワイズマンは組織、メイズスル兄弟は個人を対象にしていると指摘していた。確かにその通りだが、今回の『ボストン市庁舎』は「6人の名市長について」という新聞記事をワイズマンが読んだこときっかけらしく、組織からではなく個人が契機となっているのは少しこれまでとは違って例外的と言える。撮影のオファーを送った中でボストン市からのみ承諾された経緯がある。

名市長の一人であったマーティン・ウォルシュ市長(現バイデン政権労働長官)は映画の約3分の1のシーンに登場している。彼は何度も「困りごとがあれば市庁舎に電話して」「市庁舎は市民のためにあるのだから、市民のために働くのが仕事」と繰り返す。私の暮らす国の役所の対応に慣れてしまっていると「本当に?」と疑ってしまう人がいたとしても無理はない気がする。障がい者支援の場やフードロスをなくす取り組み、レッドソックスの優勝パレードなど様々な現場に市長は顔を出すが、選挙戦を念頭に置いた政治的な理由からではなく、何事も本気で取り組んでいるためなのだ。それが支持率に繋がっている。市長は幼少期に難病に罹るなど大変苦労したエピソードを自身の口から語るのだけれど、こういう人だからこそ、多くの人の声に耳を傾け、寄り添えるのだろう。

首長で住む場所を決めたい。最近そんな言葉を聞いたけど、わかる気がする。現にボストン市は低所得者向け住宅を増やし、失業率を下げるといった功績を残している。もちろん、市政は市長のみに依るわけではなく、職員たちの働きぶりあってこそで、その様子もカメラに収められている。ホームレス支援や学校の定員増加に対応についてなど様々な会議シーンが映し出される。「本当に普段からこんなに議論しているの?カメラが回っているから一生懸命になってるんじゃないの?」と疑ってしまう人もいるかもしれないけれど、日常的に話し合い、意見交換をしているからこそ、自然な光景として捉えられている。突如としてカメラが現れたから咄嗟に演じたわけではない。中には明らかにカメラを意識しているネズミの駆除を依頼する人や駐車違反切符に対して意義を申し立てる人たちも出てきて、深刻な状況ながらも何だか微笑ましい場面として印象に残っている。過去の、具体的には2010年より前のワイズマン作品に比べて、「温かい視線」から対象を見つめているように感じた。

一部の劇場では市役所などに勤務する人が特別料金で見られる「市役所割」が導入されている。どのくらい利用があるのか気になるところ。公式パンフに掲載されている元大津市長・越直美氏の寄稿では、米国の市役所だが日本の自治体の業務ととても似ていると指摘されている。同じワイズマン監督の『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(2017年)では公開時に全国各地で現役図書館を交えたトークショーが開かれていたけど、今回も現役市役所職員が参加してのトークイベントがどんどん開催されてもいい。なんと長野県上田市の上田映劇では来年の1月に市長が参加するイベントが開催されるとのこと!日本の公務員も観れば色々と思うことがあるはずだし、この作品のように観客と意見交換できるのが理想だ。同時に市役所に勤めていない人もどんな仕事がなされているかを知る必要がある。ワイズマン監督自身も撮影当時90歳くらいだったけど、それまで市政について何も知らなかったそうだ。

「ようこそ、市民のための市役所へ。」これはこの作品に付けられたキャッチコピーだが、配給を手がけたムヴィオラ代表の武井みゆきさんは「当たり前のことが価値を持つようになってしまったんですよね」と話していた。国民の方を向いていない政府が続けば、市役所も市民の方を向かなくなってしまうのか。K県O市では「ジャンパー事件」と呼ばれる騒動が起こっていた。職員達が生活保護受給者に対して差別的な文章が記載されているジャンパーを着用し、業務を行っていたのだ。 事件発生10年後の2017年にようやく改善点がまとめられた報告書が市長に渡され、「生活保護は市民の権利」と位置づけられた。今年公開の『シュシュシュの娘』でも同じジャンパーを着た市の関係者が登場していて、この出来事を連想させた。

ウォルシュ市長は「私たちで街を変えて、国を変えましょう!」と言う。今回の全国公開がきっかけで国政からではなく、日本の市政から少しずつでも変わるきっかけになればいいと思う。

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