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【TIFFレポート後夜祭2】性と生に目覚めた少女の孤独な闘い『ムリナ』

文=小島ともみ 妄想パンフイラスト=映女

カンヌ映画祭でカメラドール受賞、マーティン・スコセッシがエグゼクティブ・プロデューサーを務めた『ムリナ』は、ドゥブロヴニク生まれの映画監督アントネータ・アラマット・クシヤノヴィッチの長編デビュー作である。家父長制を下敷きに、性と生に目覚めた若い女性の成長を美しい海と空とは裏腹の翳りを帯びたトーンで描く。

毎朝一緒にウツボを獲りに潜るユリアと父アンテのあいだには、紛れもなく敵意が存在する。母親のネラは夫アンテを怒らせないよう細心の注意をユリアにも強い、一家の生活は一見平穏にみえて、つねに一触即発の不穏な雰囲気が漂っている。そこに火をつけたのが、ネラのかつての恋人で、三人の住む島をリゾート地として購入することを考えているハビエルだ。

アンテは、娘ジュリアと妻ネラの前では絶対的な権力を持つ者として振る舞う一方で、島をなんとかして売り払おうとハビエルには媚びへつらう。その様子を二人が軽蔑のまなざしで見ていることに、アンテは気づかない。アンテの頭のなかには家族の幸せのために自身を犠牲にして働く崇高な父親像があるのだろう。家父長的存在を哀れで滑稽なものとして描いているのは痛快だった。

ともにハビエルに支配されてきたユリアとネラだが、二人は徐々に対立を深めていく。それを単にハビエルをめぐる恋愛感情のもつれと見てしまうのは表面的すぎるだろう。ユリアは同世代の友もなく、きょうだいもおらず、他者との比較のなかで自分を確認したり、自信を持つきっかけを持てないでいる。母は自己の姿を反射してみせる唯一の存在だ。ユリアのネラに対する敵対意識は、男のいいなりになる母への反発と、同じような道を歩むものかという抵抗のようにみえる。ユリアにとってネラは自分の側ではなく、自分を操ろうとするあちら側の人間に過ぎない。

ユリアは島に遊びに来ていた若者のひとりに思いがけずキスされ、おのれの性的魅力を自覚する。母がむかし着ていたドレスを身につけて肉体の魅力をアピールする場面は、この息苦しい世界から逃げ出すための必死の闘いだ。アンテとは真逆に都会的で洗練され進歩的にみえたハビエルが、じつは女性を消費するだけの男でしかないと分かったとき、ユリアは初めて独りで闘う決意を固め、自分のもつ本当の力を信じて前に進んでいく。愛する海が自分に授けてくれた強さを。

この映画は虐げられる「女性たち」の物語ではなく、社会の抑圧からの解放を求める「一人の」若い女性の物語だ。その姿は、ふだんは臆病で慎重な魚なのに、やむにやまれず攻撃に転じると容赦なく相手に深手を負わせるウツボ(murina)まさにそのものである。

妄想パンフ

キラキラと眩しく光る海をバックに、力強く水中銃の矢を握るユリアの手を大きく。劇中で顔をのぞかせるジェントリフィケーションの問題にクロアチアがどう向き合っているかも取り上げてみたい。

作品情報

予告編はこちらから
『ムリナ』(原題:Murina)
監督:アントネータ・アラマット・クシヤノヴィッチ
キャスト:グラシヤ・フィリポヴィッチ、ダニカ・カーチック、クリフ・カーティス
96分/カラー/クロアチア語、英語/日本語・英語字幕/2021年クロアチア、ブラジル、アメリカ、スロベニア

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