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【PATU REVIEW】屍を乗り越えて進め、少女たち『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』

文=小島ともみ

 さあ、夏がやって来た! 殺しの季節だ。ひと昔前まではナタを持った覆面の殺人鬼“ジェイソン”が原産地アメリカあるいは日本、いずれかが夏のあいだにキャンプ地を跋扈しては指導員やら参加者を片っ端から惨殺しまくったものだった(『13日の金曜日』シリーズ。ただし『新13日の金曜日』(1985)と『13日の金曜日』(リブート版、2009)の2本の公開はいずれの夏もはずしている)。リアルではさらに大変な事態が起こりそうな2021年、日本の夏。ほんの一瞬だけでも現実を忘れて映画の世界に飛び込もう。うってつけの一本がある。先ごろNETFLIXで配信の始まった『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』(2015)だ。いかにもB級ホラー感漂うタイトルだが、まず、その印象が間違っている。ここには深い意味が込められている。

 「ファイナル・ガール」とはスラッシャー映画[*1]で最後まで生き残る唯一の女の子をさす名称である。彼女は家族や仲間が殺されるのを目の当たりにし、たいていは自分も危ない目に遭い、時に重傷を負いながらも、最終的には殺人鬼を倒して勝利をおさめる。スラッシャー映画の多くは殺人鬼とファイナル・ガールの闘いを描いてきた。なぜ「ガール」で「ボーイ」ではないのかについてはまたの機会に譲るとして、ここでは本作の原題(『The Final Girls』)も邦題も「ガール」が「Girls/ガールズ」と複数形になっている点に注目してほしい。ジャンルのお約束では、最後に残るのは必ず一人だけ。これは絶対的なルールだ。つまり本作のタイトルは、これが殺人鬼vsファイナル・ガールという伝統的スラッシャー映画ではなく、「彼女たちの物語」を中心にしていることを示しているのである。

[*1] サイコパス的性格をもった、多くは男性の殺人鬼が特定の凶器で大量殺戮を犯す映画。

 映画はいわゆるメタ構造をとる。主人公マックスは、亡き母がスクリームクイーン[*2]として名を馳せた20年前のB級スラッシャー映画を観ている最中に、友人たちと映画の世界に迷い込んでしまう。物語世界では上映時間と同じ92分単位で一周し、間違った答えをすると先に進めないRPGのように、脚本に沿った行動を強いられる。抜け出す方法はただ一つ。“ファイナル・ガール”が殺人鬼を倒すように話を進めればいい。ここは遊び心あふれる展開で、「セックスする者は死ぬ」、「単独行動をする者は死ぬ」等々、スラッシャー映画の「お約束」をたっぷり詰め込み、逆手にとっておちょくり倒す。「お約束」を熟知する者ならにやりとしてしまい、スラッシャー映画なんて観たことのない人でも、さほど怖い思いをすることなく「これがスラッシャー映画か、へえ」と雰囲気を味わえる。ニッチなジャンル映画でありながら、常連でも一見さんでも楽しめるつくりは素晴らしい。なお、「お約束」についてさらに詳しく知りたければ、「絶対に死なない方法」として面白おかしく、くまなく紹介する『ホラー映画で殺されない方法』[*3]をお薦めする。

[*2] 悲鳴や叫び声といった恐怖の演技を得意とする女優。女性にだけ求められる役割ゆえに、ここでは「俳優」ではなく、あえて「女優」と書いておく。
[*3] 『ホラー映画で殺されない方法』セス・グレアム=スミス著、入間眞訳、竹書房。

 マックスは、物語世界で3年ぶりに生きた母と再開する。しかし目の前にいるのは母アマンダであってアマンダでない。この世界でアマンダはあくまでも、シャイでギターを抱え「この夏、脱処女して人生を変える!」とキラキラ目を輝かせる登場人物、十代の少女“ナンシー”だ。母と娘の関係は物語世界のなかで逆転する。象徴的なのが、二人が“ナンシー”の将来について語る二度の場面である。一度目は、“ナンシー”がプレイボーイで絶倫男の“カート”と寝ようと身支度をととのえているとき。マックスは「男なんて口先だけ」と“ナンシー”を思いとどまらせる。「私みたいに特別になれない子は、結婚して子供を持つことだけが幸福なの」と“ナンシー”は泣く。「男に処女を<捧げる>ことで<大人になる>」という考え方からして悲しすぎるが、物語世界の“ナンシー”にとってはそれが望み得る最高の人生なのだ。なぜなら、「そう考えるキャラクターとして設定されており、そのように振る舞うよう脚本に書かれている」から。二度目は、マックスたちによって物語世界のからくりが明かされ、“ナンシー”が自分は殺される運命だと知るとき。絶望する“ナンシー”を、マックスは「ここを出れば誰にでもなれる」と鼓舞する。“ナンシー”は「そうでない生き方」があると知り、自分のもつ可能性に胸をときめかせるのである。

 先ごろ、都立高校の男女別定員制が取り沙汰された。単純に点数だけで合格者を決めると、女子のほうが多くなってしまうため、男女が同数になるよう枠を設ける制度だ。結果、男子より高い点数を取っても落とされる女子が出てきてしまう。その前にも東京医大が女子受験生の合格点を一律に減点する措置をしていた事実が明るみに出て物議を醸した。ガラスの天井問題もある。女性の社会進出、つまり生き方の選択肢にはいまださまざまな制約が課されている。そこには、どうせ結婚して辞め、子供を産んで辞めるのなら、わざわざ場所を確保してやるとか、そもそも可能性を示してやる必要などないという(男)社会の意識が垣間見えるようだ。しかしそれは本末転倒で、「誰にでもなれる」機会、「そうでない生き方」を選ぶ権利を取り上げられてきたがゆえの結果ではないか。だから、辞めざるを得ないし、諦めざるを得ないし、知るすべも奪われてきたのだ。

 マックスは、現実世界で男に苦労する母(名前すら出てこない夫はおそらく彼女たちを捨て去り、言い寄ってくる男にも遊び相手としか考えられてない)を見て育ってきたこともあってか、男に頼らないしやすやすと心は許さない。役に立つ範囲でなら付き合ってやってもいい、ぐらいの警戒心で臨んでいる。自分というものを持っている反面、母を不慮の事故で亡くした傷を抱えて進めないでいる。マックスは“ナンシー”を導くことで成長し、“ナンシー”もマックスに励まされて彼女なりの人生の意味を見いだす。母娘を超えた女同士の関係が結ばれる瞬間はこのうえなく力強くて美しい。そうしてマックスは、「竹馬にでも乗らないとキスもできない」ほど大きな身体をしたクリスの声援を背に受け、小さな身体に怒りと勇気を満たして最後の闘いへと向かうのである。ここからのクライマックスはスラッシャー史に不可侵の領域を築いた熱く感動的な名場面だ。もう一つ、意地を張り合い、一触即発状態にあったマックスの親友ガーティと元親友のヴィッキーが心を合わせる場面も涙をそそられる。「ほんとうの敵は誰か」を自覚したときの彼女たちの連帯の強さには心救われるものがある。

 さて、私たちの現実世界に目を向けると、口を開き、声を上げれば一刀両断で圧殺、そもそも黙殺してくる社会という殺人鬼に、これからどう立ち向かっていけばいいのか。あらゆる手管を駆使してくるヤツだから相当に手強く、過去に挑んでは斬り捨てられてきた死屍累々を思えば、たった一人で倒すのは不可能だ。だから、ガールズ、私たちの物語が要る。白か黒かはっきりせいと、とかく二分されがちな風潮がある一方で、両の極地にも温度差があるという分断の様相。乗り越えていけるのか――理不尽だが、まずはその理不尽の根源を絶つためにも乗り越えていくしかない。

作品情報

『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』
[原題 The Final Girls]
監督:トッド・ストラウス=シュルソン
出演:タイッサ・ファーミガ、マリン・アッカーマン、アダム・ディヴァイン、トーマス・ミドルディッチ、アリア・ショウカット、アレクサンダー・ルドウィグ、ニーナ・ドブレフ他
製作:2015年/アメリカ合衆国/91分

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