文=松嶋
金は天下の回り物というが、その言葉を真に実感している人は、現代日本においてどのくらい居るのだろうか?
霞の向こうからそういった噂を見聞きはすれども、自分の手元から減る一方で増える気配はなく、いつ自分のところに回ってくるのかしらと待ちわびている人が多いのではないのだろうか。でも、死神と税金からは逃れられないとある映画でも言われていたように、税金は遠慮なしにわたしたちの生活にのしかかってくる。レシートに刻まれた消費税、確定申告に打ち込む所得税、日常にあふれる“税”の文字を見つめるとき「頑張って働いて稼いだお金なのに、どうして満足に使うことができないの?」なんて、トホホ…とため息を吐いたり、チクショウ!と憤ったりした人も決して少なくはないと思う。
かくいう『マルサの女』も、伊丹十三監督の税金に対する驚きから生まれた映画だ。この経緯を書くには、まず氏の略歴を語らねばならない。伊丹監督は、俳優、エッセイスト、イラストレーター、CM作家、テレビマン・・・と幅広い分野で活躍した、現代風に言うなればマルチクリエイターだ。五十にして天命を知るというが、氏があふれる才能と経験を集約させる場として選んだのが、映画だった。51歳のときに『お葬式』で映画監督デビューを飾り、これが日本映画界に激震を与えることになる。葬儀の悲喜こもごもを描いた異色の人間喜劇は、評判が評判を呼び、小さな映画館からあれよあれよと上映館を拡大し驚異的なヒットを記録。しかし、大きな利益には大きな税金が伴う。このとき伊丹監督は2億数千万にも及ぶ多額の税金を納めることになる。だが、たんまりと税金を取られ、チクショウ!で終わらずにかえって目を光らせるのが、伊丹十三、その人である。
題にある“マルサの女”とは板倉亮子、国税局査察部ことマルサ(〇査)の査察官のことを指している。背が低くて、おかっぱ頭にはいつも寝癖。そばかす顔をくしゃっとして笑うさまはファニーながらも愛嬌があるが、税金のこととなる一変して眼光鋭く相手に切り込むハードボイルドな仕事人だ。税務署の調査官としての優秀な働きが評価され、脱税摘発のプロフェッショナルたる国税局査察部に引き抜かれる。彼女と海千山千の脱税者たちとの金をめぐる攻防を描いたのが、映画『マルサの女』なのだ。
この映画、まず兎にも角にも面白い!伊丹監督のスタイルを「びっくりした・面白い・誰にでも分かる」と本作の主演であり、監督の妻である宮本信子女史が称しているが、まさにこの三要素がこれでもかと詰め込まれた、軽妙洒脱かつ痛快無比な傑作なのである。映画を褒めるときに“色褪せない”という言葉がしばしば使われるが、この映画はむしろ時代が流れるにつれて、色が濃くなっているような気すらしてくる。ビジネスの在り方が増え、金を取り巻く人々の環境が変われども、大金を前に空転する人間の欲望は変わらない。『マルサの女』では、そんな人間の滑稽にして悲惨な本質が的確に捉えられている。脱税者たちは自分たちの血と汗の結晶たる財産を守ろうと、必死になればなるほど空回りしていく。ある人は不正が書かれたメモを食べようとし、またある人は素っ裸になって査察官たちを威嚇する。所得の隠し場所は、口紅から犬小屋、子どものランドセル、果てはブラジャーの中にまで!まるでお笑い種だが、査察官と脱税者本人にとっては真剣勝負そのものだ。
摘発する者/される者という、単純な構図だけ見れば、両者はいわば敵対関係にあるわけだが、彼らの間には時として信頼関係にも近い絆のようなものが存在する。互いに互いをプロとして認め合い、その手腕を尊敬しているからこそ相手のことを恐れる。そんなマルサと脱税者の不思議なリスペクトが、本作の敵役ともいえるラブホテルオーナーの権藤と、板倉のわずかなやり取りからうかがい知ることができる。板倉が権藤とはじめて会ったときにこんなシーンがある。身分証を出し名乗った板倉を「やあ、いらっしゃい」とニヤニヤしながら迎える権藤。身分証を覗き込んだかと思うと、権藤はそれをひったくろうとするが、板倉の身分証にはヒモが付いており、ピンと張られたヒモで二人が結びつく。「はじめてこのヒモが役に立ったわ」「アンタ、見かけによらずプロだな。好きだよそういうの」二人の緊張関係の始まりを示す、運命の赤い糸ならぬ、因縁の白い首ヒモだ。権藤はヤクザや汚職議員とも対等に渡り合うしたたか者で、愛人(=特殊関係人)を囲って不正の証拠を破棄させ、隠し金庫のある大きな屋敷に住んでいる。こう書くと酷く嫌味な奴のように見えるが、板倉と同じく彼もまた仕事に人一倍精を出す。特殊関係人と事に耽ろうとじゃれ合っていても、押し倒した床に敷かれたマットの黒が映えているのを見たら、「黒も良いな」と一瞬にして仕事モードに切り替わり、火照った彼女を放ってシーツの業者に電話をかけてしまうような奴なのだ。板倉は出会ってまもない権藤に「この人は夢を売る人だ」と思ったと伝え、面食らわせる。プロフェッショナル同士が言葉を多く交わさずとも通じ合い、そう遠くない日に始まる熾烈な戦いに静かに覚悟を決める。二人の対決の行方がどうなるか、まだ知らない人はぜひとも本編で確かめてほしい。
「いつしか、もっと取れ!もっと取れ!と心の中で叫んでいる自分に気づいて恥ずかしかった」—『マルサの女』のパンフレットに載っている観客のコメントの一つだ。わたしたちは今日も財布を開いてため息を吐く。5000兆円欲しい!という5年前に流行った言葉がネットで今でもぐるぐると回り続けている。嗚呼、非課税の10万円が欲しい。でも画面の中であわてふためく脱税者たちを見てわたしたちは今日も笑いを堪えることはできない。
作品情報
『マルサの女』
脚本・監督:伊丹十三
出演:宮本信子、山崎努ほか
製作:1987年
127分
パンフ情報
【奥付情報】
発行日:1987年2月7日
発行所:東宝㈱出版事業室
発行者:大橋雄吉
印刷所:成旺㈱
企画・編集:伊丹プロダクション
スチール写真:宮澤鬼太郎/柏木和明
表紙デザイン:佐村憲一
エディトリアル・デザイン:木下勝弘
編集スタッフ:荒井敏由紀
定価:400円
https://twitter.com/poploli1019/status/1388421411509653506?s=21
関連パンフ情報
『タンポポ』
【奥付情報】
発行日:1985年11月23日
発行所:東宝㈱出版事業室
発行者:大橋雄吉
印刷所:成旺㈱
企画・編集:伊丹プロダクション
スチール写真:目黒祐司
スナップ写真:竹内健二
表紙イラスト:伊丹十三
A・D+デザイン:佐村憲一
編集スタッフ:荒井敏由紀/山崎みみ
定価:400円
https://twitter.com/poploli1019/status/1388421514152665091?s=21