文=小島ともみ
「パンデミックで数少ない良かったことの一つは」とセルビアの友人曰わく、「スラヴァをしなくて済むこと」。スラヴァとは、家族の守護聖人をたたえるセルビア正教会の習わしである。どの聖人をたたえるかによって日が違う。該当の聖人の日には、朝から晩まで食事を用意し、訪ねてくる友人や家族にふるまわなくてはならない。招待制ではないので誰が行ってもよく、複数の家を回ってへべれけでやって来る親戚ほど厄介なものはないという。たしかに親戚の集まりは面倒で時には災難のもとだ。たいてい、訳ありのおじやいとこみたいな人がいてなんとなく所在なさそうにしている。そんな彼、彼女たちの「秘密」を酔いに任せて暴露する人がいる。覚えていない幼少期の出来事をいい年になってからも繰り返し聞かされる。場がどうにも荒れてくると、子どもたちは二階かはなれに「もう寝る時間だ」と追いやられる。私の父方は本家、分家のある大家族だったが、それが一堂に会する盆と正月は子どもの目から見ても地獄絵図だった。大人たちはさぞかし神経をすり減らされる数日間だったのではないかと思う。
『クリシャ』は、そんな「近しくはないが近しくあるべきとされ近しくあろうと試みる家族という集団」が迎える気まずく破滅的な一日を描いており、胃がキリキリとしっぱなしだった。タイトルの「クリシャ」は60代の恰幅の良い女性の名前。彼女が感謝祭を祝うために家族が集まっている姉の家にやって来るところから物語は始まる。荷物を置きっぱなしにして車を離れ、ブツブツとつぶやく様子、隣家を姉の家と勘違いしてドアベルを鳴らし、誤りに気づいて芝生の上を無造作に突っ切っていく態度から、彼女が極度の不安と緊張状態にあることが伝わってくる。しかし家に入った途端、気丈にふるまおうとする彼女の姿をみて、ここから先に待ち受けているのは温かい家族の再会ではないことを思いしらされるのである。
この冒頭のシークエンスに監督の才能が凝縮している。それは、このあとも見せつけられるのだけれども、一切の説明をほどこすことなく、登場人物の思惑や感情をカメラの動きと構図に移し替える鮮やかなお手並みに驚かされる。物語が進むにつれて明らかになるのだが、クリシャはアルコールで身持ちを崩し、家族や親族を傷つけてきた人物で、一人息子は姉の子として育てられている。そんな彼女にとって、感謝祭は、酒を断って人生を立て直した自分にはふたたび家族の一員として輪に加わる資格があることを証明するまたとない機会だ。償いと和解のしるしとして、彼女は七面鳥を料理しはじめる。その横で、男どもは大音量でテレビを観ながら騒ぎ、家のなかをボールが飛びはね、犬がほえ、皿が床に落ち、誰かが急に電話で会話をしだす。クリシャはどんどん無口になり周囲の音に呑み込まれていく。家族にとっての日常は、クリシャにはすべてが目まぐるしく、騒音でしかない。彼女のなかでわき起こる不安と焦りに呼応して周囲の世界が常ならぬ何かを帯びていく。まるで家全体がクリシャを異物と認識してはじき出そうとし、クリシャのほうははじき出されまいと必死でしがみついているかのようにみえる。
孤立無援のクリシャに起こる出来事で、私がいちばん「しんどい」と感じたのは、料理の合間にクリシャが一服しにいく場面だ。気遣いが緊張関係を生んでいる姉は出はらって気のゆるむところ、同じく一服しにきた姉の夫となんとはなしの愚痴り合いになる。義理の兄のささやかな打ち明け話に、心をひらいてくれたと感じたクリシャもまた、心情を吐露する。すると、義兄は手のひら返しでクリシャのだらしなさを責め、反省なんかしても無駄だと言わんばかりに酷い言葉でなじりだすのだ。このハシゴを外された感というか、同じ目線で共感しあっていたというのは独りよがりの思い込みだと突きつけられる残酷さ。家族も所詮、他人であるけれども、相手との境界線はあいまいだ。ときに踏み込みすぎて不用意な言葉や態度で相手を傷つける。しかし、だからといって関係を絶つのはなかなかに難しい。傷つけたほうも傷つけられたほうも、そのことは自覚しつつ、大したことではないふうを装ってやりすごしていくしかないのだ。
度合いを深めていく緊迫は七面鳥にも託されている。クリシャが素手でベタベタと七面鳥にさわって内臓を抜き取り、調理していく様子を目にする親族の顔に浮かぶ嫌悪の色は拒絶そのものである。クリシャ役を演じる監督の実叔母は、撮影の前に犬に指を食いちぎられてしまい、劇中では欠けた指に包帯を巻いている。実際のところ傷は癒えており包帯は必要がなさそうにみえる。しかし、欠けた指先を見せるより、あえて包帯を巻いたほうが不穏さは確実に増幅する。見えないものは恐ろしい。そこから彼女の一部が滲出し、家族の口にするものに入り込んでいくのではないかと感じてしまうのである。そして、クリシャと家族をかろうじてつなぎ、うなりをあげるオーブンのなかで色づいていく七面鳥はまた、爆発寸前の時限爆弾だ。七面鳥は無事に仕上がり、クリシャは正式に家族の仲間入りを果たせるのか? 家の各所でざわめいていた空気が七面鳥に集約していく後半はホラー映画である。
家族の協力(クリシャの姉の夫ドイル以外は、すべて監督の親族と友人たち)を得て、家族の家で撮ったこの初長編作品は、アルコール依存症になった父親の経験、うまくいっていない叔母と親族の関係を元につくられているという。家族の問題を演じてみせる家族の胸のうちはさぞかし複雑だろうと思ってしまうのだが、監督の試みは完璧に成功をおさめている。わざとらしさのない熱のこもった「演技」がみせるのは、まごうことなき家族の真理だ。家族の問題を作品にする監督といえば、アリ・アスター監督が思い浮かぶ。なかでも自身の失恋体験に基づいた『ミッドサマー』はセラピーのようなものだと述べている。トレイ・エドワード・シュルツ監督にとってはどうなのだろうか? その答えはラストシーンにあらわれているように思う。地獄の晩餐を経てたどり着いたあのショットには、怒りや葛藤を乗り越えた凪の境地を感じる。
このあとに続く監督作『イット・カムズ・アット・ナイト』はパンデミック後のディストピアを描いたホラー映画であり、『WAVES/ウェイブス』は傷ついた若者たちが再生をはかる青春映画としてくくられている。こうしてみると作品ごとに違う側面を見せるジャンルレスな作家としてとらえられるかもしれないが、シュルツ監督のテーマは一貫している。深淵の瀬戸際にいる家族である。いずれの作品も、劇的な展開とわかりやすい答えを求めて観ると期待を裏切られるだろう。しかし、近しい者のあいだに存在する欺瞞と緊張を観る者に投げ込み、波紋を生じさせる「厭映画」ぶりには中毒性がある。次作を楽しみに待つ監督のひとりである。
作品情報
『クリシャ』
原題:Krisha
製作・監督・脚本・出演:トレイ・エドワード・シュルツ
製作:ジャスティン・R・チャン、ウィルソン・スミス、チェイス・ジョリエット
製作総指揮:ジョナサン・R・チャン、JP・カステル
撮影:ドリュー・ダニエルズ
音楽:ブライアン・マコーマー
出演:クリシャ・フェアチャイルド、ロビン・フェアチャイルド、ビル・ワイズ、クリス・ダベック、オリヴィア・グレース・アップルゲイト
製作国:アメリカ
製作:2015年
83分
関連パンフ情報
『物語る私たち』
【奥付情報】
発行日:2014年8月30日
発行所:ユーロスペース
発行人:堀越謙三
編集人:岡崎真紀子
デザイン・イラスト:門田透(nix graphics)
定価:500円(税込)
#PATUREVIEW 『物語る私たち』
家族が抱える、自分にまつわる秘密をサラ・ポーリーが探ってゆくドキュメンタリー。冒頭のマーガレット・アトウッドの引用がすべてを物語る。サラ・ポーリーのインタビューがないのは残念だが、こういう作品にパンフレットが作られるのはうれしいこと。 pic.twitter.com/NMrnV5Jmmu— TOMOMEKEN (@Drafting_Dan) April 10, 2021
『ザ・ゲスト』
【奥付情報】
発行日:2014年11月8日
発行承認:ショウゲート
発行:東急レクリエーション
編集:佐野亨
デザイン:吉川俊影(PLAIN STORE)
印刷:日南印刷
定価:720円(税込)
#PATUREVIEW 『ザ・ゲスト』
『ゴジラvsコング』の公開が待ち遠しいアダム・ウィンガード監督作のストレンジャースリラー。キャスト、監督、脚本家インタビューにプロダクションノートとオーソドックスな構成だが、充実の読み応え。公開規模が大きくない作品にパンフレットがあるのは望外の喜びです。 pic.twitter.com/MmJZUCHnyn— TOMOMEKEN (@Drafting_Dan) April 10, 2021