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【PATU REVIEW】隠れているものの方が怖いんだよ

文=竹美

 話題のアメリカ映画『ミナリ』を観た。20年以上韓国語を学んで来た者からすると、最近の韓国文化コンテンツの躍進ぶりには驚かされる。昨年は韓国製作の映画『パラサイト 半地下の家族』(2019年/ポン・ジュノ監督)がオスカーを制し、今度はアメリカで韓国語の映画が製作され、アカデミー賞候補になった。
 お話は、監督リー・アイザック・チョンの自伝的な物語とされている。アメリカのアーカンソー州の農村地帯に、韓国人向け農業で一山当てようと引っ越してきた韓国人移民一家の物語である。あまり大きなことは起こらず、静かに、父親の奮闘や夫婦の葛藤、子供達と祖母とのやり取りを追っている。
80年代には米国へ毎年3万人の韓国人が移住したと言われている。大韓民国となってから、豪州やニュージーランド、日本(ニューカマー移民)等を加えれば相当な数の人間が海外に流出しているのである。後には、家族全員での移民よりも、子供と妻を外国に置いて、父親が仕事しながら行ったり来たりする現象が現れ、「渡り鳥お父さん(キロギアッパ)現象」と名付けられた。私は2004年に韓国に住んでいたのだが、かなり多くの人が「我が国は貧しい」と言っていた。当時も若干の違和感があったが、ともかく韓国人の意識としてはそうなっていた。当時盛り上がっていた民族主義的雰囲気から見て、海外への脱出現象は、北朝鮮からの脱北現象にも重なって、日本人には否定的な現象に見えたものだが、彼らはそれを「外に出て、どんどん広がって頑張ろう」という肯定的な活気に読み替えてしまったのだろう(この1点が、その後の日韓の行先を決めたのかもしれない)。そういったメンタリティは当時の韓国映画『英語完全征服』(2003年/キム・ソンス監督)に明確に出ている。あの頃少しだけ付き合っていた同年齢の韓国人のゲイは、その年に一家総出でアメリカに移民することになっていた(付き合うべきじゃないタイミング…)。また、日本に帰国した後、沢山の韓国人ゲイに会ったが、所謂ニューカマーとして来日し日本で仕事をしており、来日の理由を聞くと異口同音に「韓国では暮らせない」と言っていた。映画の中でも、韓国での暮らしが苦しかったということを主人公のジェイコブが妻に吐露するシーンがある。「アメリカに二人で渡って、互いを救い合おうと約束した」ということが語られる。字幕では「助け合おう」になっていたが、実際に韓国語のセリフで言っていたのは「互いを救う」だった。悲壮感漂う彼らが後にしてきた80年代の韓国とはどんな場所だったのだろう。学生運動・軍政に揺れ、民主化から88オリンピックに至る怒涛の展開の中で、経済は着実に伸びたが、韓国人の意識としては、あの頃も「我が国は貧しい、暮らしが大変だ」だったのである。
 妻の母親がアメリカにやって来て、孫のデービッドと一緒に小川に行くシーンがある。そこで蛇を見つけたデービッドは石を投げ、蛇を追い払おうとする。すると祖母は「そんなことをしたら蛇が隠れて見えなくなってしまうよ。見えているものより隠れて見えない方がもっと怖いんだ」と言う。本作の肝はここにあると感じた。見えないものの方が見えるものより怖い。本作は、移民の物語の割には、現地に先にいた白人コミュニティとの間の軋轢はほぼ描かれない。私は、本作を観た後、「あっさりしているな」と感じ、コラムを書くにあたって書くことが思いつかず弱ったな、と思っていた。『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』(2020年/ロン・ハワード監督)の方が久々にハリウッド映画らしい映画を観た感動があった。同作がトランプ大統領の掲げた「Make America Great Again」に対する見事な意趣返しになっていたからだ。だが、「隠されたものが怖い」というセリフこそが本作のポイントなのだろう。人種や民族的ステロタイプは、子供達のやり取りの中で無邪気に吐き出されているが、大人たちは彼らが韓国系であることを気にする素振りを見せない。だが、祖母の言うとおり「見えない、隠れているものが怖い」のだという目で見ていくと…。デービッドが仲良くなった白人の子供の家での、その子の父親とデービッドのやり取りは本作の中で最も不穏だ。何も起きないから想像力を掻き立てられて怖いのである。
 また、セリフの中でも言及される「アメリカの韓国人コミュニティ」も隠されている。彼らは都会の韓国系コミュニティとは意識的に距離を置いているように描かれている。アーカンソーに来る前のカリフォルニアで何かあったようだ。アメリカの韓国人コミュニティを描いた小説『通訳/インタープリター』(スキ・キム)を読むと、何となく分かるが、新しい移民を搾取するのは、同じルーツの先輩移民たちなのである。これは、豪州映画『ミステリーロード2/悪徳の街』(2016年/アイヴァン・セン監督)等でも見られる、一つの哀しい真理である。しかし『ミナリ』はそこにフォーカスしない。
主人公一家を手伝う男性ポールも不可解だ。彼は朝鮮戦争に出兵したことから、韓国人への親近感を抱いているキャラクターとして描かれている一方で、狂信的とも見えるクリスチャンである。日曜日ごとに、教会に行かず、大きな十字架を背負って田舎道を歩くポールは、何を背負っているのだろう。
 そして、唯一と言ってもいい、社会が明示されている部分もある。同作に出て来る白人は、一人として、我々世代が空想してきた「アメリカ映画の中のアメリカ人」のような顔立ち・体型をしてない。普通の人達で、髪はぼさぼさ、服装もぱっとしないし太り気味だ。主人公一家の服装がオシャレで華やかなのと対照的に描かれている。
 隠されている韓国と、隠されているアメリカ社会。敢えてそこを見せないことで、アメリカ人にとっての普遍的な物語として読まれるのかもしれない。隠れている部分はそれぞれが想像したり、自分の親たちや先祖の話を聞いたりして補えばいいのだ。人種問題がいつまで経っても燻り続ける国、アメリカの中では、アメリカの美徳を守りつつ、マイノリティを受容するという物語が必要とされているのだろう。『グリーン・ブック』(2018年/ピーター・ファレリー監督)や、『ROMA/ローマ』(2018年/アルフォンソ・キュアロン監督)をこういう形で乗り越えるのかどうか。もう直ぐ発表されるオスカーが楽しみである。

作品情報

『ミナリ』
監督・脚本:リー・アイザック・チョン
出演:スティーヴン・ユァン、ハン・イェリ、ユン・ヨジョン
原題:MINARI
製作国:アメリカ
カラー/116分
2020年

関連パンフ情報

『チャンシルさんには福が多いね』
【奥付情報】
発行:2021年1月8日
発行人:リアリーライクフィルムズ 沖田敦
定価:1,000円(税込)

『パラサイト 半地下の家族』
【奥付情報】
発行:2019年12月27日
発行:ビターズ・エンド
デザイン:川名亜実(オクターヴ)
印刷所:三永印刷
定価:800円(税込)

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