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【PATU REVIEW】インドは現代世界の縮図

文=竹美

私が子供の頃は、日本と韓国・台湾などの東アジア諸国は、「経済成長と貧困の解消を両立させた」として経済の優等生ともてはやされた。あれから30年、世界が求める「経済の優等生」像はがらっと変わってしまった。

今回の作品『ザ・ホワイトタイガー』の舞台はインド。インドはグローバル時代の「新興国経済」の優等生だ。90年代初頭に経済を自由化し、以後30年間で一気に豊かになって行った…一部の人達は。

現代の経済の優等生とは、数億の貧民と1億の富裕層を抱える国のことである。

2010年、青年実業家のバルラム(アダーシュ・ゴーラヴ)は自分の人生を回想する。田舎の貧しい一家に育った彼は、持ち前の聡明さから、田舎を抜け出す機会を伺っていた。地元の有力者の息子アショク(ラージクマール・ラーオ)のお抱え運転手になったバルラムだが、ある日、アショクの妻ピンキー(プリヤンカー・チョープラ)が運転する車が事故を起こしてしまう…。

インド社会は世界の縮図である。アメリカで教育を受けたがインドでの成功を夢見るアショクは、バルラムの無知を前に「このような人々がこれから豊かになって行くんだ」というようなことをピンキーに力説するが、それは自分よりカーストも所得も教育も低い階層に対する蔑みをたっぷり含んでいる。そのような形でインド社会が、古いものと新しいものの両方の力によって支配されていることが痛いほど分かってくる。バルラムのセリフにある通り、「世界最大の民主主義」はこれを解決してはくれない。

2000年代に入っても尚、インターネットも何も知らないバルラムのような階層がいたこと、また、映画『きっと、うまくいく』(2009年/ラージクマール・ヒラニ監督)でも描かれた通り、「エンジニア」の夢に若者が殺到し、熾烈な競争を生んでいることも事実である。夜の街を徘徊する貧しいリクシャー運転手を描いた『リクシャー』(2016年/ロヒット・ミッタル監督)は、夢も希望も無い層の鬱屈した狂気を描いている。グローバルとローカルの2つの世界の境界線は、今や洋上ではなく、インド国内に持ち込まれている。『ピザ!』(2014年/M・マニカンダン監督)は、スラムに住む子供達が、「ピザ」という未知の食べ物(欧米化の象徴)に憧れる様子はあくまでもほのぼのとしているが、供たちの無邪気さが放つ光によって、彼らを取り巻く社会の残酷さが影のように浮かび上がる作品だ。

アメリカのインド移民の辛酸とインド社会の闇を目の当たりにして葛藤する女性、ピンキーを演じたプリヤンカー・チョープラ・ジョナスは、ボリウッドの大女優で、本作のプロデューサーとしても名を連ねている。聡明で野心家の彼女は、現代インドの二面性を体現するような人だ。YouTubeのオンラインインタビュー(ET Canada、2021年1月14日)で彼女は「私は、現代のインドと、田舎や伝統的インドの両方の感覚が交じり合っている」と語っている。インタビュアーが、ピンキーについて「あれがインドでの女性の扱われ方」と言及した点につき、プリヤンカーは「インドだけではなく、女性がどう扱われているかを描いているんですよ」と訂正した。今やインドは世界の縮図だと確信しているのである。みなぎる自信。ホワイトハウスにはカマラ・ハリスが来たが、ハリウッドにはプリヤンカー・チョープラがやって来た!

『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年/ダニー・ボイル監督)を思い出す人もいるかもしれない。同作が青年の夢の明るい面を描いたのだとすれば、『ザ・ホワイトタイガー』は、「ミリオネア・ゲームに乗れない者が何をやって成功したか」という青年の夢の影を捉えようとしている。本作の監督はイラン系アメリカ人のラミン・バーラニ。『スラムドッグ$ミリオネア』も本作も、英語圏の人間から観た作品であり、英語が流ちょうに話せるということが、インド人にとってクリティカルであると教えている。

主役バルラムを演じたアダーシュ・ゴーラヴは、小柄で薄い身体、始終卑屈な笑みを浮かべて主人たちの虐待にも耐える過去のバルラムと、隙の無いファッションに身を包み、目が全く笑わない2010年の青年実業家バルラムを演じ分けている。また、彼は元々インドの歌謡の心得があるらしい。アショクが酔っ払って英語の歌を歌うと、お返しにバルラムがインドの歌を歌うシーンがある。二人の交流と断絶が音楽で対比されるシーンだが、彼の声には透明感があり、何かを達観したような物悲しさに引き込まれる。インド文化の深みを感じるシーンでもある。

2010年のバルラムがビジネスを展開しているインド随一のハイテク産業都市、ベンガルールは、今やインドの若者の憧れである。名も知れぬ村からデリーを経由し、グローバル世界に最も近い都市にやってきたバルラムは、「これからは茶色い人と黄色い人の時代だ」と不敵に宣言する。欧米諸国中心の世界秩序への宣戦布告でもあろう。

ラストシーンでは何とも言えない表情をした人々が映る。躍進するインド(『ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画』(2019年/ジャガン・シャクティ監督))と、少なからず欧米に傾斜した夢に突っ走る人々(『ガリーボーイ』(2019年/ゾーヤー・アクタル監督))を前に、庶民はただもう茫然と、猛スピードで変化する全体像の見えない日々を生きている。それは、世界では既にお馴染みの光景でもあるし、過去の「経済の優等生」神話の崩壊の先にある私たちの表情かもしれない。

作品情報

『ザ・ホワイトタイガー』
THE WHITE TIGER
監督:ラミン・バーラニ
出演:アダーシュ・ゴーラヴ、ラージクマール・ラーオ、プリヤンカー・チョープラ
2021年
アメリカ映画

関連パンフ情報

『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)
金色無地に、大胆にエンボス加工+PP加工。
32ページ・A4定型
【奥付情報】
発行日:2009年4月18日
発行:株式会社ギャガ・コミュニケーションズ
編集:星野有香、漆戸睦、冨家杏子、吉田旅人(ギャガ・コミュニケーションズ)
デザイン:大島依提亜、中山隼人(OSHIMA DESIGN)
テキスト:猿渡由紀
印刷:北斗社
定価:700円(税込)

『ガリーボーイ』(2019)
横長判型にタイトルロゴのみのシンプルなデザイン。
20ページ・A4定型
【奥付情報】
発行日:2019年10月18日
発行・編集:ツイン
執筆協力:松岡環
デザイン:ヒノキモトシンゴ
定価:700円(税込)

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