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【TIFF7日目レポート】無生という悲劇的ハッピーエンドへの旅路『アラヤ』

文=やしろ 妄想パンフイラスト=映女

シー・モン監督の長編デビュー作「アラヤ」は、人間の善悪や悲喜を超えた視点で、2世代に渡る業と因果応報を描いた野心作でした。アラヤは仏教用語でいう阿頼耶識の事です。阿頼耶とは蔵を意味していて、人の業(何をした、何を言った、何を思った)の一切がその蔵に容れられ、不滅に残ります。家が火事になっても蔵は残る様に、肉体が滅んでも業は消える事なく残り続けるのです。

前半はロングショットと長回しを多用して、いかなる業があったのかをじっくりと見せていきます。1997年、息子を失い山奥へ隠遁する男、暴行され私生児を産む事になった女。暗闇に浮かぶわずかな灯りの中、息子の喪失と魂の死を経験する2人。2014年、ジェンルーの出産。ジェンルーの相手であるミンの気の迷い。医師として街に戻って来たライシェン。孤独な物乞いの男が他人と関わる様になるまで。あざなえる縄の如く、それぞれの業が少しずつ因果として絡み合っていきます。そしてある日突然、それは文字通り焼け落ちるのです。しかし焼け落ちようとも、蔵は残り続けるのです。

そして後半、前半とは打って変わって物語はめまぐるしく動きます。

前半の業が登場人物たちを因果の渦に飲み込み、無常の大河に浮かんでは消える泡沫を見てる様でした。まさに色即是空。因縁が離れると実体は消滅します。目の前の事象はすでに実体を伴っていない、存在していないのかもしれない。いつまでもあると思っている…自己の執着によってあると認識しているだけなのかもしれない。そんな恐ろしい不安が美しい自然を背景に次々と映し出されているだけに、余計に運命とはこうも無慈悲なのかとさえ思えてきます。

ジェンルーが最後に訪れた家はただ静かなのですが、そこでは業がジェンルーに優しくも残酷な姿で現れます。絵本「100万回生きた猫」の猫は最期、白猫との出会いと別れをもって輪廻が終わりました。これ以後、生がないと言う事がハッピーエンドになる。生まれることがなければ、滅することもない無生不滅。ひょっとしたらこの無生の生にジェンルーは生きながら辿り着いたのかもしれません。フェルメールの絵画を思わせる、窓から差し込むひたすら穏やかで暖かな日差しを浴びながら…。

妄想パンフ

B6縦のつづら折りで、表紙は経典の様なデザイン。中身は藁半紙のような色合いで写真とテキストを展開

作品情報

『アラヤ』(原題:Alaya[無生])

予告編はこちらから

監督:シー・モン [石梦] キャスト:ホウ・インジュエ/ジャン・シューシュエン/ジャオ・シャオドン
150分/カラー/北京語/日本語・英語・中国語字幕/2020年/中国 長編1作目の監督作品

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