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【TIFF4日目レポート3】おじいちゃん探偵が挑む老いと孤独の難事件『老人スパイ』

文=小島ともみ 妄想パンフイラスト=ロッカ

ラテンアメリカ諸国のなかでは抜群の経済的安定を保ちながら、日本と同じく少子高齢化が急速に進みつつあるチリ。『老人スパイ』は施設で暮らす老人たちの姿をとらえた異色の“ドキュメンタリー”作品だ。
近ごろ妻に先立たれ、気を紛らわせる何かを探していた83歳のセルヒオは、民間調査会社の一風変わった求人広告に応募する。「80歳から90歳まで、独立心があり、テクノロジーに長けている者求む」。その職務とは、ミニカメラ付きのペン、カメラ内臓の眼鏡で武装し、とある老人ホームに潜入することだった。入居者の家族から寄せられた「母親が虐待されていないか、物を盗まれていないか確かめてくれ」という依頼に応えるためのものだという。熱意と人当たりのよさを買われたセルヒオは採用され、ターゲットの住む施設に“入居”する。
スパイ映画のパロディのような始まりにコミカルな展開を予想してしまうが、じきにこれが真摯なドキュメンタリー作品だと気づかされたときの驚きが、この映画の第一の楽しい仕掛けである。
第二の仕掛けは、セルヒオというキャラクターだ。

老人ホームにはいくつかの「お約束」がある。入れる側も、入る、もしくは入れられる側も「これがみんなにとって最善の策」と信じて疑わないポーズをとる。もちろん誰もが望んで入っているわけではないし、100%幸せに暮らしているわけでもない。そうした事実からは目をそらす後ろめたさと、とはいえ仕方がないという割り切りで成り立っている。入居者たちにはおとなしく穏やかに最後の時を過ごす態度が暗黙のうちに求められているのだ。そんな彼らに正面きってマイクを向けたところで、本音を引き出すことは難しいだろう。
チリの老人ホーム事情からいえば、劇中に出てくるのは珍しいタイプの施設だ。たいていの場合、入居者の多くを占めるのは妻に先立たれたり面倒を見てくれる家族のない男性で、女性の場合はほとんどが子どもや孫と一緒に暮らすという。ここに身を寄せる女性たちの多くは、事情があって生涯独り身だったり、結婚しても子どもがおらず、独り残された境遇にある。

優しくチャーミングなセルヒオは、またたくまに人気者になる。女性たちは進んでセルヒオに心情を吐露する。彼女たちは自分たちの打ち明け話を聞いているのはセルヒオだけだと思っているかもしれないが、映画を観る側もまた、セルヒオの目と耳を通じて全てを受け取る。通常のインタビュー形式には頼らず、セルヒオとの対話によって住民の考えや不安を知ることができるのは、遊び心に満ちた手法だ。
カメラはまた、潜入捜査官としての職務に励むセルヒオの姿も捉える。大量のメモをとり、特定の住民にアプローチし、苦悩し、共感して彼なりの結論へと進んでいく。空間のもつ意味を変えることなく、セルヒオを中心に物語性に満ちていく素晴らしい構成である。

調査の末にセルヒオがたどり着いた答えは、極めてシンプルだが重い。ジェームズ・ボンドのような華々しい活躍の場面はないが、この老いたるエージェントが人道に満ちた詩的な雄弁さで“真犯人”を語るフィナーレは圧巻だ。本作は11月19日から始まるラテンビート映画祭でも上映が決まっている。斬新なドキュメンタリー映画を体験してみたい人はぜひ劇場に足を運んでほしい。

妄想パンフ

驚くべき偉業をなし遂げたセルヒオの堂々たる姿イチオシの表紙に、探偵の必需品、虫眼鏡を添えた表紙。中身には、セルヒオが調査を進めるなかで実際に書いたたくさんのメモを見せるページを入れたい。

作品情報

『老人スパイ』(原題:The Mole Agent)
予告編はこちらから
監督:マイテ・アルベルディ
90分/カラー/スペイン語/日本語・英語字幕/2020年/チリ・アメリカ・ドイツ・オラ

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