No7 「ウソ」から見た実(まこと)

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文=竹美

こんにちは。映画ライターを名乗る竹美です。どうでも良いですがゲイです。

私は幼少期から、しんぶん赤旗の主張をふんだんに吸い込んでしまい、知らぬ間に共産主義思想を周囲に振りまきながら(迷惑行為!)育ってしまいました。もちろん現実からの乖離が著しく、一時期北朝鮮のことまで研究してしまいました。自覚が無いまま何かに染まっているって…自分は幸せだけど、怖いことですよね。
きれいな「ウソ」で現実から目を逸らしてしまう思想に染まっていた私は、変なことですが、映画に、「ウソ」の中から真実に近そうなことを想像するという面白さを見出しています。北朝鮮を研究するということ自体が、嘘の中から事実を探り当てるようなものだったので、繋がってはいるのかもしれません。
映画も北朝鮮も「ウソ」の塊ですが、不思議なもので、作り手が作為的にウソの純度を高めるほど、その中にホントのことが浮かび上がってくることがあります。逆に作り手が「ホントのことなんだ」と強調すればするほど、ウソの方に目が行ってしまうのが人間なのです。
ハリウッド映画は大好きですが、「ウソに騙されちゃった」という哀しい約20年間のパヨク人生と、それを反省してきた後半の20年という怨念の邪視で観てみると、「ウソ」=「教え込もうとしている物語」と「ホント」=「隠しても隠し切れない事情」が見えて来るんですね…

例えば、2000年辺りからのハリウッド映画は、必要以上にメキシコや中南米を危険な場所として描く一方、当該地域でギャングが横行する原因である「北米のコカイン使用が一向に減らないという事実」について問うことを止めています。最近ではトランプ政権に対して「壁を作るな」と声を上げる割に、中南米を「危ないあそこ辺」として意識的に隔離しつつ、アメリカに害のないメキシコ人や中南米人は優遇していることを内外に示したい…2010年以降、メキシコ出身監督がいくつオスカーをもらったかを考えるとそうとしか思えませんよね。
どんな面白くても、『バードマン』『ゼロ・グラビティ』『シェイプ・オブ・ウォーター』って、あの三人の監督のベストだとは思えないよ私は。
(ふ…フフフ…邪眼系ライター…そう言ってもいいのかしらね。でも私の幼い頃からの憧れは、持てる力を放って魔物を封じたり、全てを破壊する内気な哀しみの超能力少女。生まれて初めて憧れたのは『グレムリン』で小さい緑のモンスターから逃げるフィービー・ケイツとか、『バタリアン』でゾンビから走って逃げるツナギみたいなの着た娘さん、『エイリアン』のおびえまくるが勇敢なシガニーとかだった。そして『キャリー』や『フェノミナ』に主演するのが夢だった…なのにどうしてこんな注意欠陥オバジ41歳になってしまったのかしらね…竹美さん、起きてる?!?聞いてる?!?!?)
とか言っても、見えたものが当たってるかどうかは別の話なので大いに外れることもあるんですね。
(この外れクジ!!怒る民衆を鎮めるために自ら断頭台の露と消える美貌の王妃として消される日も近い…って図々しい!!!)

昔の映画を観ていて、未来を予見したようなセリフを耳にしてドキッとさせられることがありませんか。木下恵介や小津安二郎の映画は、今、その何気ない台詞に耳を澄ますべき映画なのかもしれないなと思います。戦争直後の日本人の姿は、猥雑で乱暴で、我が強く打たれ強い、礼儀正しさと横柄さが一人の中に同居しているような感じがします。それでいて、「新しい時代が来るのだ」というどうしようもない状況を前にとても謙虚に見えます。

話逸れますが、木下と同じ時に出てきた黒澤明の映画は、ある意味「侍の日本人」というよくできた虚構故に海外で名が残ったのではないかと思います。海外の人で木下を挙げる人が皆無なのは残念なこと。木下の映画『永遠の人』がオスカーの外国語映画賞候補になったことを知る外国人は少ないみたいです。
私は、理想を持って生きている人間なのだな、と最近よく思います。物事や世界がよくなってほしい、自分もよくなっていきたいが、そうなれないとがっかりする。それは自分を苦しめるんだけど。自分がダサヒーロー映画が好きなのはそのせいでしょうね。『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』が長年のベスト『シカゴ』を抑えて私の人生ベスト映画。オネエ映画の古典的名作から、社会の底辺で人間の光を見た元チンピラがヒーローに変身することで、世の中に対する希望や願いを強く訴えてくる、理想提示型の映画に移るとはね。

と同時に、理想はとても怖いものです。私が長年離れようとした共産主義の歴史はもちろん、冷戦終結後には、「理想」の怖さがもっと分かりやすく野蛮さを発揮しています。私の目には、ISのような宗教テロリストは、「理想」が想定外の暴力を生んでしまった、または、暴力や犠牲を必要悪として軽視した共産主義運動の子孫に見えます。人種や民族、性別等が引き金になる暴力も、もしかしたら、底には「理想」が歪んだ形でパワーを発揮しているのでは。
理想なんか何も持たない方がずっとストレス少ないし、幸せに生きられるはず。でもやっぱり、そういうものに引っ張られるのも人間なのだと思います。映画はそういう状況を前に、どういうものを描くのか。その一点にとても興味を惹かれています。映画としてどんなにつまらなくても、或いは内容に共感できなくても、「世の中のホント」がちらっとでも見える映画を観ると、雷に打たれたような感覚になります。これからもそういう風に映画と付き合っていけたらいいなと思います。

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